2024年1月14日 礼拝説教 「地の塩、世の光」

聖書: マタイの福音書 5章13~16節

Ⅰ.はじめに

 今日は、子どもと大人の合同礼拝です。合同礼拝では、教会学校の『聖書』の箇所から神様のことばをお聴きしています。教会学校は今、「イエスの教え」という単元で、目標は「『山上の説教』からイエスの教えを知る」です。イエス様を信じた人について、2つのものを示して、その存在の大切さを教えられました。それは、何でしょうか?

Ⅱ.みことば

1.私たちは「地の塩」(マタイの福音書 5章13節)

 イエス様はご自分の弟子たちに「あなたがたは地の塩です」と言われました。イエス様を救い主と信じる、今の私たちも「地の塩」なのです。いったいどういう意味でしょうか?

 「塩」には「食べ物に味をつけること」と「食べ物をくさらなくする」という性質や役割があります。イエス様を信じた人は、その人がいるまわりの身近なところに幸せの味付けをする性質を持っているのです。その人がいるだけで、ホッと安心するとか、心があたたかくなるとか、そんな人がいますね。先週、町会の会長さんと新年度の役員を引き受けてくださる方をさがして、2時間近くこの近くを歩いた時も、自分がそんな存在であるように願いました。会長さんから「一緒に歩くと楽しいね」と言っていただけてうれしく思いました。イエス様を信じた人は、自分の力でそういう人になるのではなく、神様の愛に包まれ、励まされて、身近な人々に幸せの味付けをする人にされているのです。その人がいるだけで、悪口はやめようとか、いじわるはやめようという気になる人もあるかもしれません。イエス様を信じた人は、その人がいるだけで、人々をくさらせるような悪いことをやめようという気になるような、そんな性質をもっているのです。

 イエス様はここで、「あなたがたは、地の塩になりなさい」と命じたのではありません。「あなたがたは、今すでに地の塩なのです」と言われました。イエス様を信じる今の私たちは、今のそのままで「地の塩」とされているのです。すでに、「塩」の性質を与えられているのです。

イエス様は、その「塩」の性質をなくさないように、と警告されました(13節後半)。イエス様を信じる心をなくさないように、神様からいただく愛をなくさないように、イエス様を信じていないまわりの人々にうもれてしまわないように気をつけましょう。そのためには、毎週、神様を礼拝すること、毎日の生活で『聖書』を読み、お祈りすること、イエス様を信じている同じ神様の子どもとお話しすることなどが必要です。

2.私たちは「世の光」(マタイの福音書 5章14~16節)

 イエス様はご自分の弟子たちに「あなたがたは世の光です」と言われました。イエス様を救い主と信じる、今の私たちも「世の光」なのです。いったいどういう意味でしょうか?

 「光」には「くらやみを照らす」とか「歩く道がわかるようになる」などの性質や役割があります。以前、山小屋に泊まり、夜明け前のまっくらな時に頂上を目指して出発したことがあります。光がなければ、どこに道があるか、どの道が頂上への道なのか、さっぱりわかりません。光で照らすと、どこに道があるか、どの道が頂上への道なのか、よーく見えてきました。それで、頂上に無事登ることができました。イエス様を信じる人は、ほんとうの幸せへの道がどこにあるかを照らす光のような存在です。自分でがんばって光るのではありません。イエス様を信じる人は、光であるイエス様の光を反射して光り、イエス様を指し示す、そういう性質を与えられているのです。イエス様を信じているとは、そういうことではないでしょうか。

イエス様はここで、「あなたがたは、世の光になりなさい」と命じたのではありません。「あなたがたは、今すでに世の光なのです」と言われました。イエス様を信じる今の私たちは、今のそのままで「世の光」とされているのです。すでに、「光」の性質を与えられているのです。

 「光」の性質は、隠れることができないことです。戦争中、家の光が外にもれないようにと苦労された方があると思います。光は、ちょっとのすきまでも、そとにもれてしまいます。「山の上にある町は隠れることができません」(14節)とイエス様は言われました。イエス様を信じる私たちの光は、隠せないですし、隠す必要もありません(15節)。

 しかも、私たちは人々を、自分に注目させるのではありません。16節を読みましょう。

だれに注目させるのですか?「あなたがたの天の父」です。人々が私たちを見て「あなたがたの天の父はすばらしい方ですね」と言うようになること、私たちが「世の光」であるのは、そのためなのです。「自分はそのような、よい行ないはできない」と心配する必要はありません。イエス様を信じて神様の子どもとされた、ありのままの自分でよいのです。

子どもは、親に似てきます。神様の子どもは、神様に愛されていることを感謝していると、それだけで天の父に似てきて、天の父なる神様を指し示す存在になっているのです。

Ⅲ.むすび

イエス様を信じている私たちも、今すでに「地の塩」、「世の光」とされています。そのことを覚えて感謝しましょう。そして、「天のお父様、あなたの子どもとしてくださり、感謝します。身近な人々があなたをあがめるように、どうか私を整えてください」とお祈りしましょう。

(記:牧師 小暮智久)