2023年12月31日 礼拝説教 「心に納めて」

聖書:ルカの福音書 2章8~20節

Ⅰ.はじめに

 今年最後の日、「主の日」である日曜日を迎えました。この1年は、おひとりおひとりにとって、どんな出来事が心に残っていますか?その出来事によって、自分について、人間について、この世界について、神様というお方について、気がついたこと、身にしみてしみじみと感じたことは何だったでしょうか?

 イエス様のお名前によって集まる所には、イエス様が共におられます。神様の言葉である『聖書』がひらかれるとき、主がみことばをもって、私たちに語りかけてくださいます。今日ここにおられる主は、今、何を私たちに語っておられるのでしょうか?

Ⅱ.みことば

1.マリアが心に納めたこと(ルカの福音書 2章6~18節)

 「しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた」(19節)と、主のみことばは、私たちに語っています。マリアが「すべて心に納めて、思いを巡らしていた」という「これらのこと」とは、何だったのでしょうか?

 それは、この日の出来事で言えば、ベツレヘムの野原から羊飼いたちが突然やって来たことです。彼らは、御使いから、今日救い主が生まれたことと、その救い主は飼い葉おけに寝ていると聞いたとそこにいる人々に話し、マリアもそれを聞いたのです。この突然の大勢のお客さんと彼らが話してくれたことを聞いて、マリアはどう思ったでしょうか。

 自分の住んでいるユダヤの北の方、ガリラヤのナザレの町から長い旅をして、ようやくたどり着いた出身地ベツレヘム。マリアにとって、ベツレヘムに到着したその日の一日の出来事は、忘れようにも忘れられない出来事だったのではないでしょうか。

 まず、自分たちが今晩泊まる場所がないということ。夫ヨセフの実家とか親戚の家もなかったのでしょうか。旅館も満員だったようです。その日は、飼い葉おけのあるような家畜小屋か、羊たちを夜休ませるための洞窟のような場所に泊まることになったのでした。

 次に、陣痛が始まって、どのくらい時間がかかったか、その日に初めての出産をしたこと。野宿するような場所での出産を、マリアはどう思ったでしょうか。

 そして、先ほど見たような突然の羊飼いたちの訪問。しかも、彼らは自分たちのために救い主が生まれたと聞き、その救い主は飼い葉おけで寝かされていると聞き、さらに御使いと大勢の天の軍勢が神を讃美したのを聞き、これらの出来事をマリアは聞いたのです。

 この日の一日だけでも、マリアにとっては思いがけない出来事がたくさんあったのではないでしょうか。とても受け止めきれなかったのではないでしょうか。受け止めきれないように思える出来事を、マリアはそのまま心に納めて、思いめぐらしたのでした。

2.私たちと救い主誕生の出来事(ルカの福音書 2章8~20節)

 今の私たちにとって、この救い主誕生の出来事はどんな意味をもっているのでしょうか。

 「あなたがたのために救い主がお生まれになりました」(11節)と言われています。救い主が生まれたという出来事は、まず、私たちのための出来事なのだというのです。「救い主」というお方の存在は、今の私たちにとってどんな意味があるのでしょうか?「救い」というと、たとえば、「救急医療」というときの「救い」のように、命に関わる切実さがあります。それがなければ助からないという切実さです。この救い主は、私たちの命を救うためにお生れになりました。神様から離れたままでは、神様に造られた人間としては本来のあり方ではない。そのような状態から助け出すために、このお方は来てくださいました。

 そこには、1秒を争う緊急性があります。誰にとっても、この世界を造られた神様というお方との関係の回復、つながりの回復、このお方に罪を赦されて和解を受けることは緊急に、最優先する必要があることがらです。この救い主は、私たちが人間として生きるために必要な助け、支え、共にいてくださるお方です。

 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」(14節)。このような讃美が天でささげられたことを、羊飼いたちからマリアも聞いたことでしょう。目の前の幼な子こそ、私たちにとって神の栄光のあらわれです。それは、誰もが身近に近づくことができる神様の恵みという栄光です。そして、この救い主を受け入れた人は、神様の「み心にかなう人」とされます。神様の心にかなう人とされ、神様に受け入れられるのです。その人には平和が与えられます。神様との平和、和解です。また、身近な人との平和、和解です。意見や考えの違いがなくなるということではありません。ここでの「平和」とは、波風のない静けさではなく、生き生きとした親しい交わり、意見の違いや感情や気持ちも素直に言い表すことができたうえで、心が通じ合い、気持ちを分かち合える関係です。救い主は、そのような神様と自分との交わり、人々と自分との交わりをもたらすために、いつも一緒にいてくださるために、来てくださいました。

3.自分にとってのこの1年(ルカの福音書 2章19節)

 私たちにとって、今年はどんな出来事が心に残っているでしょうか?うれしかったこと、励まされたこと、慰められたことは、どんな出来事だったでしょうか?その出来事は、自分にとって、どんな意味があるのでしょうか?しばらく、思い出してみましょう。心に納めて、思いめぐらしてみましょう。

 また、悲しかったこと、苦しかったこと、こころが痛んだことは、どんな出来事だったでしょうか?その経験は、自分にとって、どんな意味をもっているのでしょうか?しばらく、思い起こしてみましょう。心に納めて、思いめぐらしてみましょう。

 さらに、それらの出来事や経験を通して、自分という人間について、気がついたことは何かあったでしょうか?また、それらの出来事や経験を通じて、私たち人間という存在について、気づいたことは何かあったでしょうか?また、この世界について、気がついたこと、身にしみてわかったことは何かあったでしょうか?神様というお方について、気がついたことや身にしみてしみじみと経験したことが何かあったでしょうか?

Ⅲ.むすび

 嬉しいことも悲しいことも「すべて心に納めて、思いを巡らして」(19節)、そこに示されている神様のおこころやお考えを神様に問いかけつつ、どんなときも共にいてくださるイエス様と一日一日を生かされましょう。

(記:牧師 小暮智久)