2023年6月4日 礼拝説教 「恵み、愛、交わり」

聖書: エペソ人への手紙 1章 1~14節

Ⅰ.はじめに

 5月から6月になった先週はどんな1週間でしたか?私は月曜日の午後に東京で、「新日本聖書刊行会」という『聖書 新改訳2017』の翻訳団体の「教会代表委員会」に日本フリーメソジスト教団を代表して出席しました。お祈りを感謝します。『聖書』の翻訳は、教会が協力して行なう事業です。この「教会代表委員会」は、教会からの要望や翻訳研究員の候補などの情報を翻訳団体に伝え、『聖書』の普及や翻訳事業の継続のために翻訳団体からの情報を教会に伝える、教会と聖書翻訳団体とのパイプ役です。今回は、翻訳団体の代表者の交代や翻訳聖書の著作権のこと(礼拝などでのコピー配布は出所を明記すれば基本的にはOK)などや、嬉しい知らせとしては前橋にあるミッションスクールで「新改訳2017」が使われることになったとの報告がありました。委員会の翌日、埼玉県の所沢の実家の跡地へ(両親が昨年召され、実家を2月に売却、今は更地)、母がお世話になった生協の共同購入の方々とちょうどお会いし、その後、両親のお墓に行き、草取りと掃除、お花を換えました。実家がなくなったのは寂しい限りですが、1年の一区切りという感じです。

 教会の暦では先週が聖霊降臨日、その翌週の今日は「三位一体主日」と言い,神様が三位一体であることを覚える日です。そのことが語られているみことばの一つに聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.父である神(エペソ人への手紙 1章 1~6節)

 これは約2000年前の教会で読まれた手紙の冒頭の部分です。私たちは手紙やメールの最初に何を書くでしょうか。当時は差出人とあて先、祈りのことばを書きました。あて先は「エペソの聖徒たち」(1節)。「聖」は『聖書』という本が「他とは区別された書」という意味であるように、「聖徒」とは「他とは区別されて神様の子どもとされた人」を意味します。つまり、聖徒とはエペソの教会員であり、イエス様を信じた私たちのことです。

  続いて、父である神(3~6節)、御子である神(7~12節)、聖霊である神(13~14節)と三位一体の神様が讃美されています。私たちも手紙の冒頭で神様を讃美できたらいいですね。 

 父である神様については何が言われているか?3節をお読みします。父が私たちを祝福してくださった、その祝福とは何か?それは、私たちを「ご自分の子にしよう」(5節)と選び、定めてくださったことです。私たちがもし、親を選べるとしたら、どんな人の子どもになりたいでしょうか?天皇の子どもか、英国王室の子どもでしょうか。どれも大変そう。それにどんな親にも限界や欠点はあります。一番すばらしいのは、この世界を造られた神の子どもではないでしょうか。父である神様は私たちがご自分の子どもとなるのを願い、「世界の基が据えられる前から」(4節)、天地創造の前から選んでくださったというのです。神の子どもとされるのは、私たちの側の何か(品行や努力等)によらず、神様の側のことだと強調するのが「選び」という表現で、言わば自発的で一方的な「愛をもって」(5節)ということです。私たちが神様の子どもとされたのは、父である神様の愛によるのです。

2.御子である神(エペソ人への手紙  1章 7~12節)

 父である神様が、私たちをご自分の子にしようとされたこの愛を、実行されたのが御子である神様、イエス様です。7節をお読みします。「このキリストにあって」という表現は、「キリストを信じた人は」という意味でもあり、イエス様をキリスト(救い主)と信じ、キリストと結ばれた人は「その血による贖い、背きの罪の赦しを受けて」(7節)いるのです。

 「その血による贖い」(7節)とは何を指すか?それは、イエス様の十字架です。「贖い」とは、代価を支払って買い戻すことです。イエス様が、私たちひとりひとりの身代わりとして十字架につけられ、そのいのちをささげ、死んでくださったという尊い代価により、神様に背いてきた罪とその結果である滅びから「贖われる」、神様の子どもとして買い戻されることです。イエス様を信じた人はだれでも、すべての「罪の赦し」を受け、神様の子どもとして贖われ、買い戻されたのだと、深く心に刻みましょう。それは、自分の側の何かによるのでなく、「神の豊かな恵みによること」(7節)。私たちは、そんな資格は自分にないと悩んだり、恵みの意味を忘れたりしがちではないでしょうか。この豊かな恵みを忘れないため、思い出すために、身体をもって受け止めるのが、今日いただく「聖餐」です。

 今日の説教題「恵み、愛、交わり」は礼拝の祝祷で用いられる「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(Ⅱコリント13:13)からとりました。「主イエス・キリストの恵み」、御子である神様によって、私たちはどのような者となったか?「御国を受け継ぐ者となりました」(11節)とあります。御国とは、神の国。神の国を受け継ぐ相続人は、神の子どもだけです。元々の神の子は御子イエス様だけ。しかし、御子イエス様を信じた人は、神との間に養子縁組が成立し、神の子どもとされたので、今すでに「御国を受け継ぐ者」なのです。こうして、私たちを「ご自分の子にしようと」(5節)する父である神様の愛は実行され、今この地で生かされている生活に「神の国」(神の支配)は始まっています。

3.聖霊である神(エペソ人への手紙 1章 13~14節)

 聖霊である神様は、私たちに何をしてくださったか?13節をお読みします。第1には、私たちは「証印」(13節)を押されました。「証印」というのは、約2000年前の社会で所有者を示すためのハンコです。今で言えば、自分の持ち物に名前を書くことと似ているでしょう。「救いの福音を聞いてそれを信じた」(13節)人には、「あなたは神様の子どもだよ」という「証印」を聖霊が押してくださったのです。第2には、聖霊は私たちの「保証」となってくださいました(14節)。何を「保証」するのか?「私たちが御国を受け継ぐことの保証」です。イエス様の再臨のあと、「天国」、「新しい地」に自分が確実に迎え入れられることの「保証」です。もし、「自分はイエス様を信じているのに、天国に行けないのではないか」と疑うとすれば、この聖霊による保証を疑っていることになり、神様は悲しまれるのではないでしょうか。聖霊である神様の「証印」と「保証」により、私たちは神様の子どもであり、今この地で始まっている「神の国」の生活を安心して味わってよいのです。

Ⅲ.むすび

 神様は、父、御子、聖霊という3つの位格(人格)がありつつ、おひとりの神様です。おひとりの神様でありつつ、父、御子、聖霊の互いの間で「交わり」をもっておられます。その恵みと愛との交わりがあふれて、この世界が造られ、私たちが生かされ、かつて神様から離れていてもイエス様によってご自分の子どもとされ、三位一体の神様との交わりの中に、私たちは招き入れられたのです。その結果私たちは、6,12,14節と3回繰り返される表現のように、神様の栄光をほめたたえずにはいられません。礼拝後にかわすあいさつの時にも、「私たちは共に神様の子どもですね。神様ってすばらしいね」と共にたたえましょう。また、共に神様の子どもであるお互いは、ふだんの生活での悩みや疲れや孤独やつらさを、教会の親しい誰かに聞いてもらい、ありのままを共に神様に祈り、イエス様の恵み、父なる神様の愛、聖霊の交わりを、ともに豊かに味わいましょう。

(記:牧師 小暮智久)