2023年6月11日 礼拝説教 「神様とともに歩もう」

聖書: 創世記 6章5~14節

Ⅰ.はじめに

 どんな花が好きですか?アジサイもきれいです。様々な色の花があるのは不思議です。

 今日は「花の日」と呼ばれる日。167年前の1856年、6月第2日曜日、アメリカのある教会の礼拝堂にはお花が飾られ、牧師は子どもたちのために神様の祝福をお祈りし、子どもと大人が一緒に礼拝しました。この礼拝は各地に広がり、「子どもの日」とも呼ばれるようになり、礼拝堂のお花を礼拝のあと、日頃お世話になっている人に届けたり、お見舞いに行ったりするようになりました。この教会でも教会学校の子どもたちが、駅や交番や高齢者の施設などにお花を持って行ったことがあります。また、できるようにと願います。

 子どもと大人一緒の礼拝は、教会学校と合同なので、『聖書』のよく知られている場面をひととおり聴けるよい機会だと思います。日曜朝の教会学校では今「神様が造られた世界」というテーマで、「世界を造り治める、まことの神様を信じる」ことが目標です。『聖書』の場面は5月初めから「世界の始まり」「アダムとエバ」「最初の罪」「最初の殺人」と続いてきました。今日はその続き、「ノアの箱舟」の場面から神様のことばを聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.神様の悲しみ(創世記 6章5~7節)

 神様というお方は、この世界と私たち人間をとてもよいものとしてお造りになりました。人間は、神様に頼って従うことを自由に選べて、神様とともに歩む間はとても幸せでした。最初の人アダムとエバはしばらくの間、神様とともに歩んでいました。しかし、ある時、神様に従わない方を選んでしまいます。私たち人間は、神様とともに歩まなくなると、必ず、自分が中心の考えや生活になります。自分がどう思うか、自分がしたいかどうか、で毎日を過ごす。自分はいつでも正しいと思いたくなる。するとどうなるか?誰かとなかよくできない。ひとりぼっちになるかもしれない。怒りや憎しみが争いにもなる。ひどくなれば、盗みや人殺しにもなる。5節をお読みします。今も似ているのではないでしょうか。

 神様は悲しみました(6節)。7節をお読みします。「造ったことを悔やむ」(7節)と神様が言われたのは、造ったことが間違いだと悔やんだのではなく、これほどに悪くなってしまったのがとても悲しいという意味です。神様は今も悲しんでいるのではないでしょうか。

2.神様とともに歩む人(創世記 6章8~22節)

 そのような4000年以上も昔の時代、ノアという人がいました(8節)。どんな人だったか?9節をお読みします。「全き人」とは、まちがいも失敗もない人ではありません。失敗した時には、神様にも人にも「ごめんなさい」と言える人です。「こんな自分じゃだめだ」と閉じこもらないで、神様から離れない人です。いつでも神様のもとに帰り、「どうしたらいいでしょうか」と聞こうとする人です。つまり、「全き人」とは、神様とともに歩む人です。

 このノアに言われたことは何か?13~14節をお読みします。それは、人々を洪水でほろぼすことと、箱舟という救いの道のことでした。ノアは、その箱舟の大きさなどを神様から詳しく命じられました(15~21節)。幅はメートルに直すと、22.5mでこの礼拝堂の幅の2倍以上、高さは13.5mでこの教会堂の屋根より高く(4階建ての建物ぐらい)、長さは135mというとても大きな舟です。作るには、長い月日がかかったはず。まわりの人々は「どうして舟を作るの?」と不思議がり、ノアが「神様が言われたからです。洪水が来るんです。この箱舟にいっしょに乗りましょう」と言うと人々は「そんなバカな」とあざけり笑ったかもしれません。ノアはどうしたか?22節をお読みします。人々にどう思われようと、神様のことばどおりにすること、それが神様とともに歩むことです。「せっかくのお休みなのに、毎週、教会に行かなければいけないの?」と言われても、私たちは神様を礼拝しましょう。いっしょに礼拝することは、神様とともに歩む人の姿であり、私たちの喜びです。

3.大洪水と救いの道

 このあと、ノアと家族は神様が言われたとおり、箱舟に入りました。すべての動物のオスとメスの一組ずつも、空の鳥も、みんな箱舟に入りました。神様がノアに命じられたとおり、ノアはそのとおりにしたのでした。これが神様とともに歩む人の姿です。

 やがて、雨がザーッと降ってきました。神様のさばきが始まったのです。雨は1ヶ月以上、40日間降り続き、大洪水となり、箱舟の外の人々や動物はみな死んでしまいました。

 しかし、神様に言われた通りに作った箱舟だけは、水にプカプカと浮かんでいました。その箱舟に入った人たちは救われたのです。救われただけではありません。そのあとも、神様とともに歩んでいったのです。神様を礼拝し、神様に聞きながら過ごしていきました。

 これはただの昔話ではなく、今の私たちと関係があります。神様は私たちひとりひとりを大切に愛しておられます。しかし、神様から離れて過ごすことを悲しみ、世の終わりにさばきがあることを『聖書』で語っています。神様は、私たちが滅びることを願っておられません。私たちが救われて、神様とともに歩む人になることを願っておられます。それで神様はイエス様をお送りくださいました。イエス様は十字架で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、3日目に復活され、救いの道となってくださったのです。今の私たちにとって、「ノアの箱舟に入る」ことは、「イエス様を救い主と信じること」です。

Ⅲ.むすび

 ノアの時代には、神様のことばの通りに大洪水が来ました。それと同じように、イエス様は約束の通りにもう一度来られます。その時には神様のさばきがあります。その時までに、イエス様を救い主と信じ、神様とともに歩む人とされましょう。

 イエス様を信じ、神様とともに歩んでいるなら、イエス様がいつ来られてもだいじょうぶ。いま、神様とともに過ごしている人は、イエス様がもう一度来られたあとも、神様とともに過ごすのが大きな喜びとなるはずです。イエス様を信じた人、洗礼を受けた人は、「そのあとをどう過ごしていくか」がとても大切です。神様とともに歩んでいますか?その中身は、日曜日にはいっしょに礼拝すること、ふだんの日も『聖書』をひらいて神様の思いや考えを聴くこと、食事の前だけでなくお祈りをして自分の思いや疑問や迷いなどを神様にお話ししてみることなどです。今週、神様とともに歩みましょう!

(記:牧師 小暮智久)