2023年2月5日 礼拝説教 「主に喜ばれる教会とは」

聖書: エペソ人への手紙 5章10節

Ⅰ.はじめに

 私たちにとって「喜び」とは何でしょうか?「喜び」には自然にわき上がるものもあります。例えば、宝くじが当たるとか受験で合格するなどの「喜び」です。これは、出来事への反応、気持ちや感情の「喜び」であり、自分を取り巻く「環境や状況」による「喜び」です。もう一つの「喜び」があります。たとえば、教会であいさつをして、話しかけ、その人と親しくなり、自分とは違う面に気づいたとしても仲間として付き合いを続ける時の「喜び」です。これは、感情だけでなく自分で選ぶ「喜び」であり、相手があってその人との「関係」における「喜び」です。友だちとの付き合い、結婚してからの相手との付き合い、イエス様を信じてからのイエス様とのお付き合いの「喜び」も、「話しかける」とか「聞く」とか「その人が喜ぶことをする」とか、自分が選び取っていく「喜び」です。

 私たちの教会の今年度の総主題は「主に喜ばれる教会」です。主が喜ぶことを、自分の喜びとして選び取りたいです。「主に喜ばれる教会」とは、どんな教会か?結論から言えば、「主に愛されていることを実感し、主を愛し、人を愛する教会」ではないでしょうか。「教会」というのは他人事ではなく、ここにいる私たちひとりひとりのことです。あなたは教会のひとりとして「主に喜ばれる教会」を形づくりたいですか?みことばに聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.主に愛されていることを実感する教会(エペソ人への手紙 1~3章)

 今日は、先ほどお聴きしたみことばを中心に、何が主に喜ばれることなのかを吟味するために、この「エペソ人への手紙」の全体から神様の語りかけをお聴きしたいと思います。手紙やメールはふつう、一気に読みますよね。この手紙の全体を通して読んだことがありますか?これは、当時のローマ帝国のアジア州(現在のトルコ共和国)の首都エペソを訪ねて福音を伝えたパウロという人が、そこにできた人々の集まりである教会にあてて、西暦60~62年ごろに書いたお手紙です。この教会の1階集会室にある『実用聖書注解』という本では「エペソ人への手紙」の全体を前半と後半に分けて解説しています。前半の1~3章の内容は「神による新しい共同体」であり、後半の4~6章には「新しい共同体の姿」だと説明しており、わかりやすいです。この「新しい共同体」とは「教会」のことです。

 この教会の水曜日の「聖書の学び」では、2013年9月から「聖書の世界と今の私たち」というテーマで、「創世記」から各書の背景や内容を1枚のプリントにして、学んできました。ほぼ10年かかってあと一つ、「ヨハネの黙示録」を残してコロナ禍のために中断していますが、「エペソ人への手紙」は2020年1月に取り上げました。そこでは、1~3章を「救いとは?教会とは?」、4~6章を「救われた者と教会の実生活」とまとめています。

 「救いとは?教会という共同体とは?」と問う時、その出発点は何か?1:4~5をお読みします。出発点は神様です。世界の基が据えられる前から私たちを選び、ご自分の子にしようと私たちを愛されたのは神様です。神様に愛されていると実感していますか?私たちを愛するという神様の意志、ご計画はイエス様により、その十字架と復活により実行され(1:7,20)、イエス様を信じた人は教会のひとり(1:22~23)、神の家族とされました(2:19)。このキリストの愛を教会において実感し続けていくようにと祈られています(3:19~22)。

2.主を愛し、人を愛する教会(エペソ人への手紙 4~6章)

 では、これほどまでに神様に愛されている自分は、自分がそのひとりとされている「教会」は、どのように歩んで行くのか?4章以降には、イエス様を信じて「教会」という共同体の大切な「教会員」とされている自分はどんな生活をするのかが書かれています。

 まず、大原則が「召された召しにふさわしく歩みなさい」(4:1)と語られます。「召し」とは「招き」であり「呼びかけ」です。神様の「招き」を受けてイエス様を信じて神様の子どもとされ、「教会」という新しい共同体の仲間とされたのですから、神様の「呼びかけ」にふさわしく生活するというのが大原則であり、神様を愛することではないでしょうか。

 それは、「教会」という共同体で聖霊による一致を保つこと、それも「熱心に」保つことです(4:3)。なぜなら、私たちは互いに、出身地や育った家庭、言葉の使い方や習慣、性格や考え方、得意なことや苦手なこと、与えられている賜物などが大きく違っているからです。しかし、その違いがあるからこそ、がっちりと組み合わされ、この「教会」という共同体はその全体が一緒に成長し、成熟し、その全体がイエス様に似た者とされていくのです(4:13~16)。主を愛することはまず、共に礼拝するなど「教会」において実行できます。

 では、具体的に、この「教会」という共同体、この「キリストによる仲間」は、どのようにして、イエス様に似た者とされ、組み合わされていくのでしょうか?キリストによって古い人を脱ぎ捨て新しい人を着ること(4:21~24)、うそを言うのをやめ真実を語ること(4:25)、キリストに赦されたように互いに赦し合うこと(4:32)などによってです。神様に愛されている子どもらしく神様にならい(5:1)、愛のうちに歩むこと(5:2)によってです。また、光の子どもとして歩むこと(5:8)、何が主に喜ばれるか吟味すること(5:10)、酒に酔わず聖霊に満たされること(5:18)などによって、「教会」の全体は主に喜ばれるように整えられるのです。具体的な人間関係のあり方についても、神様は語っておられます。夫と妻(5:22~33)、親と子(6:1~4)、当時の現実である奴隷制度のしもべと主人(6:5~9)などです。自分と同じようにその人を愛することを、まるでイエス様と接するかのように、その人と接することを、主は喜ばれます。さらに、私たちの共通の敵である悪魔の策略への対策(6:10~20)も取り上げられています。「教会」のメンバーである私たちが互いにいがみ合うのではなく、共通の敵である悪魔のさそいに乗らないで主の助けによって勝利していくことも、主を愛し、主を大切にすることであり、主に喜ばれる「教会」のあり方なのです。

Ⅲ.むすび

 私たちは神様に愛されています。それを実感していますか?神様は、私たちのためにイエス様を救い主としてお送りくださいました。イエス様は、神様から離れていた私たちの背きの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださり、葬られてくださり、3日目に死から復活されました。あなたの代わりにイエス様が死なれたということは、神様にとってあなたは、ひとり子イエス様と同じ価値があるということです。神様は、あなたを、イエス様と同じほどに愛しておられるのです。神様は、イエス様に「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(マルコ1:11)と言われました。このことばを、神様は、イエス様を通して、私たちひとりひとりに語っておられるのです。「あなたはわたしの愛する子どもだよ」と言ってくださる神様の愛を、「聖餐」によって深く味わい実感しましょう。主に愛されている私たちは、吟味しましょう。「何が主に喜ばれることなのか」(エペソ5:10)を!主に喜ばれる教会となるために、自分の何を変えたらよいでしょうか。

(記:牧師 小暮智久)