2022年3月6日 礼拝説教 「神の国の生活」

聖書: 申命記 31章7~13節

Ⅰ.はじめに

 ウクライナにロシアが軍隊を送って攻撃を続け、多くの人々が犠牲になっています。少しでも早く武力攻撃が終わり、対話による解決がもたらされるようにと切にお祈りします。

 今年度最後の月を迎えました。私たちの教会の今年度のみことばは、先ほどお読みした申命記31章8節「主ご自身があなたに先立って進まれる」で、今年度の総主題は「主よ、導いてください」です。神様が私たちに先立って進まれ、導かれるのは、「どこに」、そして、「何のために」でしょうか?ともに、神様のことばである『聖書』に聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.どこに導かれるのか(申命記 31章7~8節)

 「主ご自身があなたに先立って進まれる」とは、約3400年前にヨシュアという人に語られたことばです。神様がヨシュアに先立って進み、導かれるのは、いったい「どこに」でしょうか?「主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地」(7節)とあります。父祖たちとはアブラハムなどイスラエル民族の先祖たちです。神様が与えると誓われたカナンという場所に、神様が先立って導くと言われるのです。神様が、アブラハムとその子孫であるイスラエルの民に与えると約束された場所とは、何を表わし、示していたのでしょうか?

 それは単にイスラエルという国の領土というだけでなく、神様が私たちのために用意し、やがて完成してくださる「神の国」という場所を指し示すモデルだったのです。イエス様は「わたしの父の家には住まいがたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか」(ヨハネ14:2)と言われました。私たちがやがて神様と一緒に住むことができる具体的な場所、「天国」をイエス様は用意すると約束されました。「天国」は、この世界を造られた神様が王様として治める場所です。私たちは以前、この神様を無視し、背いていましたので、この「天国」に入る資格は全くありませんでした。しかし、神様のひとり子イエス様は私たちの、神様に対する背きの罪のすべてを身代わりに背負って、十字架で死んでくださいました。そして、墓に葬られ、3日目に復活されました。このことによって、神様に対する私たちの背きが完全に赦される準備が整ったのです。今や、イエス様を救い主と信じる人は、神様にすべての罪を赦され、神の子どもとされ、「天国」に入れていただけます。「天国」は「神の国」、「神の王国」です。

 「神の国」の完全な姿は世の終わりに現われますが、ヨシュアの時代の人々にとって約束の地での生活が「神の国」の生活のモデルだったように、今の私たちにとっては、イエス様を信じてから、神様に導かれていく日々が「神の国」の生活です。私たちは今すでに「神の国」の国民として地上で生活をしています。やがて、「天国」で神様と一緒に過ごす生活の、リハーサルのような準備の生活が今の地上での教会の一員としての生活なのです。

2.何のために導かれるのか(申命記 31章9~13節)

 「主ご自身があなたに先立って進まれる」(8節)とヨシュアに言われ、神様がヨシュアとイスラエルの民を導かれるのは「何のために」でしょうか?

 このあと、9節で「みおしえ」と言われている神様のみことばをモーセが書き記し、「七年の終わりごとに」(10節)、「イスラエル全体が」(11節)、神様の前にやって来た時に、「このみおしえを読んで聞かせなければならない」(11節)と書かれています。それは何のためか?12節を読みましょう。イスラエルの民が、男も女も子どもも、他国からの寄留者も、このみことばを聞いて「あなたがたの神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行うようにするため」(12節)です。神様が先立って約束の地に人々を導き入れてくださるのは、自分を中心にして、したい放題に過ごすためではありません。神様を恐れ、敬い、神様を中心とした生活をするためであり、神様のみことばを守り行うためなのです。

 ここで言われている「このみおしえ」(12節)の中心には、「十戒」と言われる神様からの10の戒めがあります。それは、イスラエルの民がモーセによってエジプトから導き出されたあとにシナイ山という山で与えられ(出エジプト記20章)、その約40年後、約束の地に入る直前に、この申命記で再確認されたものです。申命記5章6~21節を読みましょう。これは、約束の地で、神様の民が、神様を恐れ敬い、神様を中心に生きるために与えられたものでした。イエス様はこの十戒を中心とする神様の戒めの中で何が一番大切かという質問に答えて、次の2つの戒めにまとめられました。マタイ22章36~40節を読みましょう。それは、自分のすべてを尽くして神様を愛して大切にすることと、となり人を自分自身のように愛し、大切にすることです。これこそが、神様が私たちに先立って導いてくださる「神の国」での生活ではないでしょうか。

 イエス様を信じる者がみな迎えていただける「天国」はどんな所か?そこは、神様を愛し、身近な人を自分自身のように大切にして過ごす場所です。そこは喜びと楽しみに満ちた所です。『聖書』の「ヨハネの黙示録」21~22章や『聖書』に基づいた多くの本(例えば『天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド』など)によれば、「天国」はワクワクするような冒険ややりがいのある働き、先に召された大切な人と再会して親しく話したり、一緒にいろいろな所に出かけたりする楽しみがあり、イエス様とお会いする喜びと安らぎに満ち、退屈のない場所だとイメージすることができます。私たちは、「天国」で「神様と一緒に生活する準備」として、また、「神様を大切にする人々と共に生活する準備」として、今のこの地上ですでに始まっている「神の国」の生活を過ごしているのです。

 それは、今の私たちだけではありません。13節を読みましょう。「これを知らない、彼らの子どもたちもこれを聞き」(13節)とあります。イエス様の十字架と復活の意味を、神様の愛と神様が用意してくださったすばらしい「神の国」の知らせを、次の時代を生かされていく子どもたちも聞く必要があります。子どもたちにイエス様の福音を伝え、イエス様を信じた子どもたちを「神の国」の生活を共にするように励まし、育てていく使命が、私たちの教会には与えられています。どうしたら、その使命を果たせるでしょうか?

Ⅲ.むすび

 私たちが続ける「神の国」の生活とは、神様が望んでいることを行なう生活です。神様が望んでいるのは、すべての人がイエス様を信じて救われること(Ⅰテモテ2:4)、信じた人が聖霊に満たされ(エペソ5:17-20)、神様と人とを愛することです(マタイ22:36-40)。戦争によって命を奪うことはその対極にあります。「神の国」は「イエス様の弟子の国」です。ヨハネ13:34-35をお読みします。後ほど歌う讃美歌 第2編157番「この世のなみかぜさわぎ」の歌詞は「神の国(イエス様の弟子の国)」の生活をよく表現しています。まず、あいさつをし、名前を覚え、話しかけ、必要な手助けをし、互いの間柄を深めましょう。聖餐によって、キリストの命と力が注ぎ込まれることで,それは可能です。(記:牧師 小暮智久)