2020年9月27日 礼拝説教「神が伴う旅路」

聖書: 創世記  46章1~7節

Ⅰ.はじめに

 今日は9月最後の日曜日。4月から始まった今年度の半年間が過ぎようとしています。この半年は私たちそれぞれにとって、どのような旅だったでしょうか?

 私たちの教会は2004年から「創世記」を礼拝で少しずつお聴きしてきました。この「創世記」は、世界と人間の創造、罪の始まり、ノアの箱舟などの出来事を語り、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフというイスラエルの民の先祖の人生を詳しく記しています。今日は、前回8月30日にお聴きしたところの続きから、神様のみことばに共に聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.神への礼拝(創世記 46章1節)

 「息子のヨセフ」(45:28) とあります。ヨセフは紀元前1914年頃、西アジアに生まれた実在の人です。父はヤコブ、ヨセフには10人の兄と一人の弟がいました。ヨセフは17歳の時「家族が自分にひれ伏す夢を見た」と言い、兄たちに憎まれエジプトへ行く商人に売られます(37章)。彼はエジプトで奴隷となり、その主人の妻に無実の罪を着せられ、監獄に入れられます(39章)。そこで、ある事がきっかけで王が見た夢を解き明かし、囚人から総理大臣に抜擢されます。その夢の通りに7年間は大豊作、次の7年間は飢饉となり、彼は豊作の時に食糧を蓄えさせます(40~41章)。父ヤコブがいる所でも食糧がなくなり、10人の兄たちは食糧を買いにエジプトへ行きます。総理大臣のヨセフには兄たちがわかりましたが、兄たちにはヨセフだとわかりません。ヨセフは兄たちをわざとスパイだと疑い、一人を人質とし末の弟を連れて来いと試し(42章)、末の弟ベニヤミンに盗みの罪のぬれぎぬを着せて奴隷となるよう迫りますが、兄のユダは自分が身代わりになると申し出ます(43~44章)。兄たちの真実な態度を見たヨセフはついに自分がヨセフだと明かし、「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです」(45:8)と言うのです。

 ヨセフは一族のエジプト移住を考えます(45:9~11)。エジプトの王はヨセフの父ヤコブ一族をエジプトに招きます。さらに「エジプトの地の最良のもの」(45:18)とか「エジプトの地から車を持って行き、・・・父を乗せて来なさい」(45:19)など、喜んで招く心を具体的にあらわしました。ヨセフを通して、エジプトの王ファラオがイスラエル一族の移住を喜んで歓迎することへと働きかけられた神様の摂理は、実に不思議ではないでしょうか。

 ヨセフの兄弟たちは父ヤコブのもとへ帰り、「ヨセフは生きており、エジプトの総理大臣です」と告げます。父ヤコブは、ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると元気づき、エジプトに行くことを決意するのです(45:28)。

 「イスラエルは」(46:1)とあります。ヤコブがかつて神の使いと不思議な格闘をした時に与えられた名前がイスラエルで、やがて、民族の名前になっていきます。イスラエルがカナンの地から彼に属するすべてのものと一緒に旅立った時、まず、何をしたでしょうか?ベエル・シェバという所に来た時、彼がしたことは「父イサクの神にいけにえを献げた」(1節)ということでした。ベエル・シェバはアブラハムにとっても(21:33)、イサクにとっても(26:23-25)、大切な所でした。ヤコブはそこで礼拝をささげたのです。それは、飢饉が理由であるにしてもこのカナンを離れて、エジプトへ行ってよいのかどうか、神様にお聴きする礼拝だったのではないでしょうか。私たちも礼拝において、神様にみこころを求め、これから先の歩みについて、導きを求めることができます。

2.神の約束(創世記 46章2~4節)

 神様のお答えはすぐにではなかったようです。「神は、夜の幻の中で」(2節)とあります。昼間に礼拝をささげたのちの、夜の出来事です。

 まず、神様は呼びかけられます。「ヤコブよ、ヤコブよ」(2節)と名前を二度呼ばれました。名前を2回繰り返して呼ばれるのは、『聖書』に特徴的で、モーセもサムエルなども名前を二度呼ばれています。神様の愛に満ちた呼びかけと言えるでしょう。神様は今朝、私たちひとりひとりをも、名前を二度呼び、親しみを込めて呼びかけてくださいます。

 神様は何を言われたのでしょうか?「わたしは神、あなたの父の神である」(3節)と言われました。ヤコブにとっては父イサクの神、父を生かし導いた同じ神が今、自分に語りかけておられる。私たちにとっても、この世界を造られ、アダムやノア、アブラハム、イサク、ヤコブの神が、この世界の始まりからすべてを導いてこられた同じお方が、今私たちの神として語りかけておられるのです。「エジプトに下ることを恐れるな」(3節)と言われました。生まれ育ったカナンの地を離れることへの恐れ、神様が約束された地であるカナンから離れる恐れがヤコブにはあったことでしょう。しかし、神様は「恐れるな」と言われ、「わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする」(3節)とエジプトでヤコブの一族がイスラエル民族になるという計画を、約束として語られたのでした。大切なキーワードがここにあります。「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る」(4節)。そしてヤコブにとっては「ヨセフが、その手であなたの目をとじてくれるだろう」(4節)と幸せな最期が約束されたのでした。

 「このわたしが、あなたとともに」とは、何と心強い保証でしょうか。神様が自分と共に行ってくださる。今の私たちにとっても、人生の大きな転機においても、ごく日常のことにおいても、「このわたしが、あなたとともに」と神様はいつもともにいてくださいます。

3.ヤコブ一族の旅(創世記 46章5~7節)

 神様への礼拝、神様からのことばをいただいて、ヤコブはベエル・シェバを出発します。どんな様子でしょうか?5節を見ましょう。ヤコブの息子たちは、エジプトの王がヤコブを乗せるために送った車に、父ヤコブと自分の子どもたちや妻たちを乗せました。ということは、この車は相当に大きな車だったということではないでしょうか。ヤコブたちが来るのを、エジプトの王がどれだけ歓迎しているかがあらわれている車でもあります。

ヤコブは家畜と財産を携えて、息子と孫、娘と孫娘など、すべての子孫と一緒にエジプトにやって来ます。8~27節には、このときエジプトに来たイスラエルの子らの名前が記されています。それは全部で70人と言われるほどの大きな集団だったのです。

Ⅲ.むすび

 神様によって造られ、愛されてきたのに、私たちは神様から離れ、神様と共に旅をする間柄ではなくなっていました。しかし、神様は私たちのために救い主イエス様をお送りくださり、イエス様が私たちの罪のために十字架で死なれ、3日目に復活されたことにより、イエス様を救い主と信じる人を神様と共に日々を歩む神様の子どもとしてくださいます。今週も、神様が伴って導いてくださる旅路を歩み続けましょう。

(記:牧師 小暮智久)