2022年8月14日 礼拝説教 「イエス様の力」

聖書: 使徒の働き 19章11~20節

Ⅰ.はじめに

 明日は、この前の戦争で、アメリカに日本が負けて77年になる日です。5月にイエス様のもとに突然、召された母が、私が子どものころから何度も話してくれたのは、戦争の時に家があった東京から千葉に避難(「疎開」と言います)したことでした。母は「ある夜、東京の方の空がまっかだったのが今でも忘れられない」と言いました。それはアメリカの飛行機が東京に爆弾を落として攻撃し、たくさんの家が燃えた色だったそうです。2度と戦争をしてはいけない、原子爆弾など核兵器を作っても使ってもいけないと心から思います。私たちが、自分を造ってくださった神様から離れると戦争が近づき、神様がくださるしあわせから遠く離れてしまうのではないでしょうか。

 いま、日曜日朝の「教会学校」は「世界に広がる福音」というテーマで『聖書』のことばを聴いています。「福音」とは、「しあわせのニュース」という意味です。ニュースの内容は、今から約2022年前に生まれ、私たちのために十字架で死んでくださり、3日目の日曜日に復活されたイエス様こそが、神様から離れていた私たちを神様の子どもとしてくださるキリスト(救い主)だという知らせです。神様に生かされている私たちは、神様の子どもとされて、神様と共に毎日を過ごしていくことこそが、ほんとうのしあわせなのです。

 この知らせは、イエス様を知らない人々にどのようにして伝わり、どのようにして世界に広がっていったのでしょうか。今の私たちがこのニュースを知り、イエス様を救い主と信じると、私たちの生活はどのように変えられるのでしょうか?『聖書』に聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.神様が行なったこと(使徒の働き 19章11~12節)

 今から約2000年前、アジアの西の方のエペソという町で、実際に起きたことがここに書かれています。11~12節をお読みします。主語は「神は」です。パウロがすごい力を持っていたのではありません。「驚くべき力あるわざ」(11節)を行なったのは神様なのです。たとえば、パウロが身につけていた「手ぬぐい」や「前掛け」(エプロンのようなものでしょうか)を、持って行って病人たちに当てると、病気が治りました。また、悪霊によって苦しんでいた人から、悪霊が出て行きました。「神はパウロの手によって」(11節)とある通り、これらをなさったのは神様で、パウロの力によるのではありません。パウロも自分の力でしているとは思わず「イエス様の名前(権威)によって」と言うと病気が治り、悪霊が出ていくのを見て、神様が力あるわざを行なっておられると実感していたことでしょう。

2.信じてないのにまねをすると(使徒の働き 19章13~16節)

 この出来事を見て、イエス様を信じていないのにパウロのまねをした人たちがいました。13節をお読みします。悪霊にとりつかれている人に向かって、パウロのまねをしたのは、ユダヤ人の巡回祈祷師たちです(13節)。どうなったか?15~16節をお読みします。悪霊は、イエス様も、パウロも知っていましたが、信じていない人たちがそのまねをしても、それには従わなかったのです。パウロのまねをしたこの人たちは、悪霊につかれている人に打ち負かされ、裸にされ、その家から逃げ出したのでした。

 イエス様を知っているだけで信じている人のまねをする、というのと、イエス様をほんとうに信じてそれに従うというのとでは、全然違うのですね。

3.何が起きたか(使徒の働き 19章17~20節)

 この出来事が、エペソの町に住む人々に知られたとき、何が起きたのでしょうか?

 第1に、「みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるように」(17節)なりました。「恐れ」というのは、ただ「こわい」というのではなく、「神様をおそれうやまう心」でしょう。人々は「神様はほんとうにおられるのだ」と神様を重んじて認めたのです。また、「イエス様のお名前にはほんとうに力があるのだ」とイエス様をあがめたのです。

 第2に、「信仰に入った人たちが・・・自分たちのしていた行為を告白」(18節)したのです。口では「自分はイエス様を信じている」と言っていても、ふだんはイエス様と関係のないように過ごし、神様に喜ばれないことをしていたと気づいた人が、本気になって、自分のしていたことを神様に告白し、神様にあやまったのです。私たちはどうでしょうか?「イエス様を信じている」と口では言っていても、礼拝の時にイエス様の方を向き、心を向けているでしょうか?イエス様を心から礼拝しているでしょうか?

 第3に、「魔術を行っていた者たちが・・・その書物を・・・焼き捨てた」(19節)のでした。エペソの町には、魔術や占いをしていた人が多くいたようです。その人たちは自分が何かの霊の力、特に悪霊と関係をもっていると気づいていたのではないでしょうか。イエス様こそが悪霊にも打ち勝つ救い主だとわかり、悪霊の働きから手を引こうと思ったのでしょう。「銀貨5万枚」というのは今で言うと、5億円ぐらいでないかと言われますが、それほど価値のある魔術の本も、イエス様と比べれば捨てても惜しくないというふうに、この人たちは変えられたのです。

Ⅲ.むすび

 エペソの町で、パウロを通して神様が働かれると、人々が変えられたという実際の出来事を、今日私たちは見ました。イエス様を信じた人は、口先だけで「信じている」というだけでなく、自分が受け入れたイエス様によって生活が変えられていくのです。

 今の私たちも、イエス様を救い主と信じたなら、自分の生活の中で共にいてくださるイエス様によって変えられていきます。自分の生活で、イエス様を信じる以前と、今とでは何が変わったでしょうか?たとえば、日曜日の礼拝を心からささげるようになった、とか『聖書』を読むと自分へのことばとして読めるようになったとか、何か変化があるはずです。それは、イエス様の力によることです。イエス様を信じる人が、イエス様の力によって変えられて、何が起きたか?20節をお読みします。それは、約2000年前の昔だけでなく、今も「主のことば」が力強く広まっていくということが起こります。イエス様の力は、信じている私たちの生活の中で今も働いているのです。

(記:牧師 小暮智久)