2022年5月29日 礼拝説教 「昇天がもたらしたもの」

聖書: 使徒の働き 1章 1~11節

Ⅰ.はじめに

 私たちがイエス様のことを考える時、約2000年も昔の外国の人がどうして今の日本に住む自分と関係があるのか、不思議だったり、疑問に感じたりすることはないでしょうか?

 今年の教会の暦ではイースター(復活祭)が4月17日(日)、来週6月5日(日)が聖霊降臨日(ペンテコステ)となります。「それがどうした?」と言われるかもしれませんが、今日は先週5月26日(木)の「キリストの昇天日」が意味するもの、「イエス様の昇天」という出来事が今の私たちに何をもたらしたのかを、『聖書』に共に聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.「神の国」が伝えられる準備の完了(使徒の働き 1章1~8節)

 今日、共にお聴きしている「使徒の働き」の冒頭は「テオフィロ様」(1節)という呼びかけから始まり、「前の書」(1節)の続きであり、「イエスが行い始め、・・・、天に上げられた日までのこと」(1~2節)を書き記した「福音書」の続編だとわかります。この「使徒の働き」は直接には、どの「福音書」の続きでしょうか?「ルカの福音書」の冒頭を見ると、同じテオフィロへの呼びかけがある(1:3)ので、「ルカの福音書」の続編だとわかります。

 1章3節にまず注目しましょう。ルカさんは「福音書」の最後の部分をおさらいするかのように書いています。イエス様が受けた「苦しみ」(3節)とは十字架で処刑されたこと、そのあと「ご自分が生きていること」(3節)を示されたとは復活のことです。イースターから40日間、今年で言えば4月17日(日)のイースターから先週5月26日(木)までの間に、11人の使徒たちにイエス様が現れ、語られたテーマは何か?それは「神の国のこと」です。「神の国」とは、「死んでから行く場所」「目に見えない天国」のことではありません。「神の国」とは、神様が支配する領域のことで、この地上で目に見えるかたちで始まります。「神の国」とは、イエス様がこの地上に来られて人々と過ごし、十字架での死と復活により備えられ、イエス様を救い主と信じる人の生活に始まる具体的な現実なのです。

 イエス様の関心は,この「神の国」にすべての人を招くことでした。しかし、弟子たちの関心は「自分の国」、イスラエルの復興にありました(6節)。彼らの質問へのイエス様の答えは、「聖霊」が来られて使徒たちが,イエス様の証人となり、「神の国」が世界中に伝えられていく約束だったのです(8節)。「聖霊」が来られるのはいつでしょうか?ヨハネ16:7をお読みします。イエス様がこの世を去ると,助け主である「聖霊」が来られる。つまり,イエス様の「昇天」は、「神の国」が全世界に伝えられていく準備の完了をもたらしたのです。

2.イエス様の救いが全時代におよぶこと(使徒の働き 1章9節)

 教会では人の死を「召天」と言いますが、イエス様の「昇天」とは字が違いますので、注意する必要があります。9節をお読みします。イエス様が昇られた「天」とはどこか?空の上の方でしょうか。世界で初めて宇宙に行ったガガーリンという人は「宇宙には神はいなかった」という主旨のことを言ったそうですが、「天」とは宇宙のことではありません。また「天」とは厳密には「天国」でもありません。「イエス様は死んだあと、天国に行った」というのが「昇天」ではないのです。では、「天」とはどこか?それは「神様の領域」です。

 イエス様はこの地上に来られる前、この「神様の領域」に、父なる神様と区別された御子である神様として、そこにおられました。「聖霊によりておとめマリア」に宿られた時、御子は神であることをやめて人間になられたのではなく、神であるまま人間になられたのです。そして、このイエス様が「天」に上げられた時、人間から神様に戻ったのではなく、神であると同時に人間として、人間の身体をもったままで、「神の領域」である「天」に上げられたのです。この「昇天」という出来事がもたらしたものは何か?

 ローマ8:34をお読みします。イエス様は天に昇り、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしておられる。だから、イエス様と時代や場所の隔たりはあっても、全時代の、全世界の人が救われることができます。つまり、「昇天」は、イエス様の救いがすべての時代の人々におよぶことをもたらしたのです。私たちフリーメソジスト教会の源流にあるメソジスト教会の初期の指導者に、英国に生まれたウェスレー兄弟がいます。弟チャールズが作った讃美歌は6000とも9000とも言われます。今日の礼拝の聖書朗読と説教の前後3曲の讃美歌は弟チャールズ・ウェスレー作です。兄のジョンは先週の火曜日にあたる5月24日、「信仰の確信」と言える経験をしたことが彼の日記にあります。それはロンドンの英国国教会のその日の夜の集会で、ある人がルターの書いた『ローマ人への手紙 序文』を読んでいた時でした。「9時15分前ごろでした。キリストを信じる信仰を通して、神が心の内に働いてくださる変化について、彼が述べていたとき、わたしは、全身全霊がいつもになく燃やされるのを覚えました。そして、わたしがキリストを、救い主であるキリストのみを信じたことを悟りました。また、キリストが、わたしの罪を、こんなわたしの罪でさえ、取り去ってくださり、わたしを罪と死の律法から救い出してくださったとの確信が、わたしに与えられました」(1738年5月24日の日記の翻訳,岩本助成「『オールダースゲート』再考」『ウェスレー・メソジスト研究』5,p.18)。イエス様の時代から1700年ほど隔たっているジョン・ウェスレーに与えられた救いの確信は、「イエス様の昇天」ととりなしがもたらしたものではないでしょうか。今の日本の私たちがイエス様を信じて救われることができるのも、「イエス様の昇天」とそのイエス様のとりなしによる(へブル7:25)のです。

3.イエス様が再び来られる時の様子(使徒の働き 1章10~11節)

 イエス様はどんな様子で再び来られるのでしょうか?10~11節をお読みします。イエス様は、今も復活された身体で「天」におられ、私たちに見える人間の身体で再び来られるのです。「イエス様の昇天」は、再臨される時のイエス様の様子を指し示しています。

 「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリピ3:20)とあります。「天」とは神様の領域です。私たちはその「神の国」の国籍を与えられました。そこからイエス様は再び来られる。そのあとに今の地上は新しくされます。「新しい天と新しい地」がもたらされ、「完成された神の国」で私たちは生活します。ですから、人は死んだらすぐに「天国」「完成された神の国」に行く訳ではありません。それまでの間に死んだ人は、イエス様の隣の十字架で死んだ強盗と同じ「パラダイス」と呼ばれる所でイエス様と共に過ごすと言えるのではないでしょうか。

Ⅲ.むすび

 礼拝で告白する「使徒信条」が「主は…天にのぼり」と表現している出来事は、今の私たちにこれらのことをもたらしました。時代や場所の隔たりを超えて、今の私たちも「神の国」の国民とされたことを感謝し、再臨を楽しみに待ちましょう。

(記:牧師 小暮智久)