2021年5月9日 礼拝説教「血による救い」

聖書: 出エジプト記 12章21~28節

Ⅰ.はじめに

 今日は「母の日」。これはキリスト教会、しかもメソジスト教会から世界中に広まった行事です。そのもとにあるのは「あなたの父と母を敬え」という『聖書』のことばです。この教会では今日は「両親の日」として覚え、子どもと大人一緒の礼拝で、「教会学校」の『聖書』の所を読んでいただきました。「教会学校」は今、「荒野の旅」というテーマです。コロナウイルスの感染に気をつけながら過ごす今の私たちの毎日も、荒野を旅するような日々かもしれません。「荒野の旅」というテーマの中での目標は「ご自分の民と共に歩んでくださる神に信頼する」ということです。どこを、どのように歩いたらよいかわからない「荒野」のような毎日であっても、神様というお方はいつも共に歩んでくださっています。その神様に信頼するか、しないかが、今の私たちにも問われているのではないでしょうか。「目に見えなくても信じる。すべてがわからなくても信頼する」とはどういうことでしょうか?昔、エジプトでほんとうに起きた出来事によって、ともに考えてみましょう。

Ⅱ.みことば

1.神様の言うことを聞かないエジプトの王(出エジプト記 11章4~10節)

 今から約3900年前からイスラエルの民はエジプトにいました。アブラハムのひ孫ヨセフがエジプトに売られ、のちに総理大臣となり、その家族がエジプトに移り住んだからです。やがてイスラエルの民は増え、エジプトの奴隷となり、苦しい生活でした。人々は神様に救いを求め、神様がモーセという人によって救い出そうとされたのが約3470年前です。モーセはエジプトの王様に「神様が『わたしの民イスラエルを出て行かせよ』と言っている」と言っても、王様は神様の言うことを聞きませんでした。それで神様はご自分の力を示し、川の水を血にしたり、かえるやいなごの大群を送ったりしました。王様はそのたびに「言うことを聞くから助けてくれ」と言いますが、災いがおさまると、神様の言う通りにしませんでした。ついに神様は10番目、最後の災いをエジプトに下されます。11:4~5を読みましょう。長子がみな死ぬという災いです。私は子どもの頃、教会学校で宣教師の奥さんがフランネルという布に描いた絵で話してくださり、「この中で長男の人はいますか?」と言われ、「その人たちはみな死にます」と聞き、私は長男なのでとてもこわかったのを覚えています。神様の言うことを聞かない強情は、恐ろしい最後を自分に招きます。

2.神様が備えた救いの方法と信じた人々(出エジプト記 12章21~28節)

 王様の家でも、奴隷の家でも、その家で最初に生まれた人も家畜もみな死ぬというわざわいに対して、神様が備えた救いの方法がありました。神様はそれをモーセによってイスラエルの民に知らせてくださったのでした。それはどんな方法でしょうか?先ほどお読みいただいた『聖書』の箇所がそうです。それは「過越のいけにえ」(21節)であり、その中心は、その家族の身代わりとなる羊の「血」(22,23節)です。22~23節を読みましょう。家族のひとりひとりの身代わりに、羊を殺し、その血を家の鴨居(玄関の上の横木)と二本の門柱に塗り、羊と種なしパンを食べるという方法です。「血による救い」がその方法であり、その通りにするということが、神様を信頼するということになるのです。

 さらに、この救いの出来事は、今の自分たちだけでなく、子どもたちへ、また、さらにそのこどもたちへと、次の世代に伝えられていくように命じられました。なぜでしょうか?25~27節を読みましょう。神様はいつも、次の世代、将来の世代のことを大切に考え、神様の救いのわざが覚えられ、伝えられていくことを願っておられるのではないでしょうか。

 これらの神様のことばを聞いて、イスラエルの人々はどうしたか?28節を読みましょう。彼らはそれを行ないました。それは神様を信頼したということを意味しています。

3.何が起きたか?(出エジプト記 12章29~37節)

 そのあと、何が起きたでしょうか?エジプトの人々の家では、最初に生まれた長子たちが、王様のあとつぎの王子様もみな神様に打たれ、死にました。「死者のいない家がなかった」(30節)とあるほどに恐ろしく、悲しい出来事でした。神様が言われた通りになったのです。エジプトの王様はイスラエルの人々に、「ここから出て行け」と命じます(31~32節)。

 一方、神様に信頼し、神様のことばの通りにしたイスラエルの民の家には何もおこりませんでした。子羊の血を見て、神様が過ぎ越したからです。それだけではありません。エジプトの人々に「銀や金の飾りや服をください」と言うとそれらをもらえたのでした。主がエジプトの人々に、イスラエルの人々を好きになるようにされたからです(35~36節)。イスラエルの民は、ただエジプトから出て自由になっただけでなく、エジプトの人々から餞別とも言えるような贈り物をもらって、出発したのでした。しかも、興味深いのはイスラエルの人々だけでなく「多くの異国人」(38節)も一緒にエジプトを出たことです。これは何を意味するか?外国の人、異邦人も、神様に信頼して、「血による救い」を受けたのであり、この救いがやがて世界中に広がっていくことを象徴しているのではないでしょうか。

Ⅲ.むすび

 エジプトで奴隷として過ごしていたイスラエルの民を、そこから救い出すために神様がお示しになったのは子羊の血による「過越し」、「血による救い」という方法でした。私たちは「血」と言われると気味が悪く、こわい感じがするかもしれませんが、大切なことは「身代わり」ということです。イスラエルの民がエジプトから救われるために、子羊が身代わりになりました。私たちが神様を知らずに神様から離れて自己中心の思いや行ないの奴隷である状態から自由にされるためには、イエス様が身代わりとして十字架で血を流し死んでくださったのです。Iヨハネ1:7を読みましょう。御子イエス様の血が、自分をすべての罪からきよめてくださると信じますか?イエス様を救い主と信じ受け入れた人は今、神様の子ども、神様の民とされています。その人は罪をすべて赦されており、信じたあとに罪を犯しても告白すれば赦され、神様に信頼する力が与えられています。今週、「血による救い」を感謝し、神様に信頼することを選び取って過ごしましょう。

(記:牧師 小暮智久)