2021年3月21日 礼拝説教「裁判を受けたイエス様」

聖書: マタイの福音書 27章11~23節

Ⅰ.はじめに

 桜の花が咲きつつあります。桜は寒さで花の芽が目をさまして春に花が咲きます。これを「休んで眠っているのを打ち破る」と書いて「休眠打破」と言うそうです。

 今日は子どもと大人一緒の礼拝で、「教会学校」の『聖書』の所を読んでいただきました。「教会学校」は今、「イエス様の歩み」というテーマです。イエス様がお生まれになって、成長され、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられたのが30歳の時です。それから約3年間、イエス様は弟子たちと一緒に旅をする生活でした。北のガリラヤ地方から南のユダヤ地方へ、そしていよいよ来週は「受難週」と言って都エルサレムに入り、十字架に向かわれるのを覚える1週間に入ります。十字架がなければ復活はなく、イエス様が苦しみを受けなければ私たちの救いがなかったことは、冬の寒さがないと春の桜が咲かないのと似ているかもしれません。「教会学校」は先週、「最後の晩餐」のあとの「ゲツセマネの祈り」と「イエス様の逮捕」の場面でした。その続きの箇所から共にみことばに聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.ユダヤの指導者による裁判(マタイの福音書 26章57~68節)

 『聖書』は、今は1冊の本として売られていますが、もとは約40人の人々によって、いろいろな時代に書かれた66の本(巻物)や手紙などの集まりです。前の方の「旧約聖書」はイエス様が生まれる前のこと、うしろの方の「新約聖書」にはイエス様が生まれてからのことが書かれています。「新約聖書」の最初の4つは「福音書」でイエス様のご生涯を少しずつ違う見方で見せてくれます。その次の「使徒の働き」は最初の教会の様子やその広がりを私たちに知らせ、そのあとには各地の教会あての「手紙」などが収録されていて、当時の教会の悩みや問題、その解決法などを知ることができます。

 『聖書』の中心人物であるイエス様は、アジアの西の方、ユダヤの南の方で生まれ、人々の間で活動したのは日本の四国と同じぐらいの広さの所で、活動したのは30歳からの約3年間です。それほど広い範囲でなく、短い年数だったのに、これほど世界中に影響を与えている人がいるでしょうか。イエス様はユダヤ人でした。同時に神様のひとり子で神様と等しいお方でした。しかし、ユダヤの指導者たちは、イエス様が神の子、救い主だと認められず、イエス様の人気が高まるにつれ自分たちの立場がなくなると思い、イエス様を殺そうとします。人目を避けて夜に逮捕し、ふつうはないことですが、夜に裁判を開いたのです。59節を読みましょう。「祭司長たち」というのがユダヤのリーダーたちで、この裁判は「死刑にするために」という刑罰が最初から決まっている不公平なものでした。「偽証人」(60節)というのはうその証言をする人で、イエス様に不利なうその証言をしたのですが、イエス様は黙っておられました(63節)。大祭司は「おまえは神の子キリストなのか」(63節)と問います。イエス様はどう答えたか?64節を見ましょう。この答えに「自分を神の子とし神をけがす罪を犯したから死刑」(65~66節)という判決が下されたのでした。

2.ローマの総督による裁判(マタイの福音書 27章11~26節)

 当時はユダヤの裁判だけでは死刑を行なうことはできませんでした。それは、ユダヤが独立した国ではなく、ローマ帝国という国に支配されていたからです。それで、ユダヤの指導者たちは、ローマから遣わされていたピラトという総督の所に、イエス様を連れて行ったのです。ピラトの問いは何だったでしょうか?11節を読みましょう。ローマ人にとっては「『聖書』の言う神をけがす罪が死刑になる」という法律はありませんでした。死刑になるとすれば「自分はユダヤ人の王で、ローマ帝国に反逆する」という罪でした。そこで「あなたはユダヤ人の王なのか」と聞いたのです。イエス様はそう認めます。しかし、ご自分への不利な証言に対して、イエス様は一言もお答えになりませんでした(12~14節)。

 ローマ人ピラトは「イエス様には死刑になるほどの罪はない」と考えたようです。それで、なんとかイエス様を釈放する道をさぐります。ちょうどその時はユダヤの「過ぎ越しの祭り」で、総督は祭りのたびごとに人々が望む囚人を一人釈放することにしていました。ピラトは「いかにも悪い犯罪者とイエス様を並べて釈放してほしい人を人々に選ばせれば、イエス様を釈放できるだろう」と考えたのです。そのために囚人のバラバという人が選ばれたのでした(16節)。「新改訳2017」の翻訳では「バラバ・イエス」となっています。「新約聖書」は当時広い地域で使われたギリシア語で書かれて、多くの写本で伝えられました。この箇所は、ただ「バラバ」だけでなく「バラバ・イエス」という写本もかなりあります。「イエス」は当時よくある名前で「主は救う」という意味でした。ピラトは二人を並ばせ、人々に選ばせます。17~18節を読みましょう。これが裁判と言えるのかなあと思いますが、19節にはピラトの妻の伝言の内容と共に「裁判」ということばがありますので、これが当時のやり方だったのでしょうか。ユダヤの指導者たちは、イエスを殺すように群衆を説得します(20節)。21~26節を読みましょう。こうして、「ポンテオ・ピラトのもとに」と「使徒信条」で毎週告白することになるイエス様の十字架刑による死刑が確定したのでした。

Ⅲ.むすび

 罪が全くなかったイエス様が裁判にかけられたのはなぜでしょうか?ユダヤの指導者たちのたくらみで「神をけがす罪」とされ、ローマの総督は「反逆罪」を認めないのに責任を逃れようと群衆任せにし、指導者たちに説得された群衆は「十字架につけろ」と叫びました。結局は責任を逃れたかったピラトの名前だけが「使徒信条」には残っています。これは何を意味するのでしょうか?イエス様が「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」たと告白するのは、ピラトはイエス様を神の子キリストと認めず、自分の人生の王と認めない人の代表であり、そのことの責任も逃れようとして誰かのせいにする人の代表ではないでしょうか。つまり、「ポンテオ・ピラト」は私たちすべての人がもつ性質の代表であり、そこに「自分の名前」を入れて読むことができるのではないでしょうか。イエス様は私たちの身代わりとして、あの裁判を受けてくださり、十字架での死刑に向かってくださったのです。このイエス様を救い主と信じ受け入れた人は、すべての罪を赦され、神様の子ども、神様の家族とされ、イエス様を信じるほかの人々とのつながりができました。わからないことや困ったこと、迷っていることや悩んでいることを自分だけで背負い込まないで、礼拝後に短い時間でも、神様の家族の人にお話し、お祈りしましょう。

(記:牧師 小暮智久)