2021年1月1日 元旦礼拝説教「新しく生まれる」

聖書: ヨハネの福音書 3章1~8節

Ⅰ.はじめに

 新しい年を迎え、まず願うこと、それは、やはり新型コロナウイルスの感染が収まることでしょうか。昨年は、コロナに対応するための「新しい生活様式」ということばも生まれました。マスクをつける、人との距離をとる、「三密」を避けるなど、新しい生活のしかたです。これまでになかった新しさの中で、マスクに息苦しさを感じ、握手も控えるように言われて寂しさを感じることもあったのではないでしょうか。大きな変化への戸惑い、見通しがつかない不安など、自分自身の拠り所や人生の土台が揺さぶられるときを、私たちはともに過ごしていると言えるかもしれません。キリスト教会は『聖書』という本を拠り所とし、人生の土台として宣べ伝えます。世界には6900種類の言語があるそうですが、『聖書』は最も多くの言葉に翻訳されています。『鬼滅の刃』も多くの言葉に翻訳されるかもしれませんが、『ハリーポッター』は67言語、2位の『星の王子様』は253もの言語に訳されています。『聖書』はダントツ1位で全体が訳されているのが531言語、新約聖書のみが訳されているのは1329言語にのぼります。世界中の多くの人々に読まれており、ご自宅の本棚にもあるかもしれません。『聖書』は西アジア、地中海世界で、紀元前1400年~西暦100年の約1500年の間に、約40人の人々によって書かれたにも関わらず、その中心テーマが一貫しているのは非常に不思議です。そのテーマとは、キリスト(救い主)であるイエスというお方による「救い」または「神の国」です。約2020年前に生まれたイエスは当時の人々に何を語り、今の私たちの人生の土台とどう関わるのでしょうか?

Ⅱ.みことば

1.新しく生まれる必要(ヨハネの福音書 3章1~3節)

 約2000年前の西アジア、中東のユダヤ地方で、当時のユダヤ人議会の議員のニコデモという人が、おそらく人目を避けて「夜」(2節)、イエスと1対1で会います(1~2節)。私たちも今、新しい年の初めに、イエスという人への先入観や自分なりのイメージを脇へ置き、イエスと自分が1対1で会っているような気持ちで、『聖書』のこの場面の中に自分を置いてみましょう。ニコデモはあいさつのようなことばを丁寧に述べましたが(2節)、イエスはいきなり本題に入られます。3節を読みましょう。「まことに」と訳された元のことばは「アーメン」です。「本当に」とか「そうです」という意味です。「アーメン」を2回重ねてこのように言うのは、これから言うことばが非常に大切だと強調する表現でしょう。

 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」。これはどんな意味でしょうか。鍵のことばは「神の国」です。「神の国」とは「神の王国」です。『聖書』は神というお方がこの世界、全宇宙、私たち人間を造られたと語ります。この神様が王として支配する国が「神の国」です。私たちはこの王に愛され、この王を愛し信頼して生活する者と造られました。しかし、最初の人アダムとエバがこの王を裏切って以来、「神の国」は破れ、罪と病と災害などに満ちた世界となってしまいました。私たちはみな、神様を王とは認めず、自分を中心に生活する者として生まれてくるようになってしまいました。神様はそれでもあきらめず、「神の国」を回復しようと、ユダヤ民族を「神の民」のモデルとして選ばれました。イエスの当時、ニコデモはユダヤの国に生まれたことで自分は「神の民」であり、「神の国」に入れるはずと思っていたことでしょう。そんな彼に「新しく生まれなければ」(3節)というイエスのこのことばは衝撃的だったに違いありません。私たちは自分が生まれる国を選べません。私は、気がついたら、日本国で生まれていたのです。私たちにいのちを与え、愛してくださっている神様を王とする「神の国」こそが、どんな状況にも揺るがない確かなもの、そこに入るには、「神の国」に新しく生まれる必要があるのです。

2.新しく生まれる方法(ヨハネの福音書 3章4~6節)

 先ほどのイエスのことばに対し、「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか」(4節)とニコデモが質問したのは、「新しく生まれる」ということについてある意味で真剣に考え始めたからでしょう。自分なりに少しでも良い人になるという表面的なことでなく、もう一度生まれ変わるというような、何か根本的な変化が自分に起きるということだと彼は考えたのです。それは、ニコデモが考えたように、人間には無理です。

 しかし、神様はあきらめませんでした。「神の国」を回復しようと、ユダヤ民族をそのモデルとして選ばれた神様は、その民族に「キリスト(救い主)」を人として生まれさせ、私たちすべての人が神様に背いた責任をすべて「キリスト」に背負わせて処罰を終わらせ、この「キリスト」を受け入れる者を「神の国」に新しく生まれさせ、自分を王としていた生き方から、神様を喜んで王と認め信頼する生活に回復させようと計画し、「旧約聖書」でその予告をされたのです。その予告通り、約2020年前、ユダヤでおとめマリアから生まれたのが「キリスト(救い主)」であるイエスだと『聖書』は今も私たちに証言しています。

 イエスは今も私たちに告げています。5節を読みましょう。「新しく生まれる」ための方法とは「水と御霊によって生まれる」ということです。「水と御霊によって」とは、どういう意味でしょうか?「水」とは洗礼を意味するとは限らず、水によって身体を洗い清めるように、「御霊」、つまり神様によって新しく生まれるということです。今の私たちにとっては、神様を王として過ごしてこなかった自分の罪を認めること、その自分の罪のためにイエス様が十字架で死んでくださり、3日目に復活されたことを信じ、イエス様をキリスト(救い主)として受け入れることによって、私たちは「神の国」に新しく生まれるのです。

3.新しく生まれた結果(ヨハネの福音書 3章7~8節)

 私たちは「新しく生まれる」と、どのような人とされるのでしょうか?8節を読みましょう。風は自由に吹きます。吹いているのがわかるのは、葉を揺らすとか、洗濯物がはためくとか、何か変化があるからです。それと同じように、イエス様を「キリスト(救い主)」と信じて受け入れると、その人は「神の国」の国民として新しく生まれ、風が葉を揺らすように、必ずその人は変えられていきます。イエス様を信じる前はそうでなかったのに、不思議ですが、神様を王とする生き方へと、神様を愛し、信頼し、従おうとする人へと変えられるのです。それは、自由に吹く風のような、聖霊の働き、神様の働きかけです。

 たとえ、ひとりで生活していても、そこに神様は共におられ、「神の王国」の民として導かれています。同じ教会の「神の国」の民がいますし、世界中の教会の「神の国」の民が仲間です。「神の国」、「天国」は死んでから行くという所だけではなく、私たちはこの地上で、「神の国」の国民として生き、やがてその完全な姿である「天国」に迎えられるのです。

Ⅲ.むすび   

 しばらくは続くと思われるコロナと共に過ごす日常で、誰よりも私たちを愛し、すべてを見通しておられる神様と共に過ごすために、「神の国」に新しく生まれ、「神の国」の国民として歩むことこそ、確かな拠り所のある人生ではないでしょうか。

(記:牧師 小暮智久)