2023年7月16日 礼拝説教 「神様に仕える自由」

聖書: マタイの福音書 4章1~11節

Ⅰ.はじめに

 「だれかに仕える」と言うと、その人の言いなりになるようで、自由がなくなり、つまらない感じがするかもしれません。しかし、その「だれか」がほんとうにすばらしいお方で、信頼して従っていればほんとうに安心できるとすれば、その方に仕えて、従うのはきゅうくつではなく、ほんとうの自由なのではないでしょうか。

 子どもと大人一緒の礼拝では、教会学校での『聖書』の箇所からみことばを共に聴いています。教会学校は7月から「神の子イエス」というテーマで、「主イエスの働きを知り、救い主として信じて従う」ということが目標です。『聖書』の場面は7月初めから「少年イエス」「バプテスマを受けるイエス様」と続いてきました。今日はその続き、「荒野での悪魔の誘惑」の場面です。悪魔は、私たちを神様から引き離そうとする存在で、イエス様にも神様に仕えるのでなく、自分の自由にしたらよいと誘惑しました。イエス様はどうされたでしょうか。私たちはどうしたらよいでしょうか。『聖書』にともに聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.神様のことばによって(マタイの福音書 4章1~4節)

 イエス様が「荒野」という木や草があまり生えていないかわいた所へ行かれたのは、「悪魔の試みを受けるため」(1節)でした。イエス様は、罪を犯しませんでしたが、私たちと同じような試練や誘惑にあわれたので、私たちの悩みやつらさわかってくださり、助けてくださいます。しかも、イエス様が荒野に行かれたのは「御霊に導かれて」(1節)でした。イエス様がバプテスマのヨハネから悔い改めの洗礼を受けた時に天からくだってこられた御霊、聖霊なる神様に導かれて、悪魔の誘惑を受けたということは、この出来事も神様のご計画の中にあり、今の私たちに何かを示すためだったことを表わしていると言えます。

 40日間も食べ物を食べず、おなかがすいていたイエス様への最初の誘惑は何でしょうか。3節をお読みします。「あなたが神の子なら」ということばには「あなたは神の子なのだから」という意味が含まれていて、「あなたは神の子なのだから、自分の力を自由に使ったらどうか」というさそいです。「まず、自分の力で自分のおなかをいっぱいにし、その力で人々にパンをあげれば、自分が救い主だとわかってもらえるじゃないか」と誘惑したのです。

 イエス様はどう答えたか?4節をお読みします。これは申命記8:3のみことばです。パンは大切だが、パンを与えてくださる神様はもっと大切だとイエス様は言われたのです。この神様のことばによって、私たちは生きることができ、ここにこそ自由があります。

2.神様の主権を認める(マタイの福音書 4章5~7節)

 次に悪魔はイエス様をエルサレムの神殿の高い屋根の上に立たせて、こう誘惑しました。6節をお読みします。悪魔は今度、『聖書』のことばを使いました。悪魔は『聖書』をよく知っています。私たちよりも知っているかもしれません。ただし、自分に都合のよい勝手な使い方をします。たしかに詩篇91:11~12には、神様が御使いによって私たちを守ってくださると書かれています。しかし、だから、高い所から飛び降りても大丈夫、とは書かれていません。今の時代では、世界平和統一家庭連合(旧・統一協会)やエホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会,王国会館)やモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)なども『聖書』を使いますが、自分たちに都合のよい読み方をしますから注意しなければなりません。

 イエス様はどう答えたか?7節をお読みします。これは申命記6:16のみことばです。神様をためすことは、自分の要求に神様を従わせることで、神様が自由にお決めになる権利,主権を認めていません。神様の主権を認めて、自分をまかせることが本当の自由です。

3.神様にだけ仕える(マタイの福音書 4章8~11節)

 悪魔の3番目の誘惑はどのようなものだったでしょうか。8~9節をお読みします。「全世界の富と権力を使って、神の国をつくれば早くて楽じゃないか、そのために私を拝め」と悪魔はイエス様をさそったのです。

 イエス様はどう答えたか?10節をお読みします。「下がれ、サタン」とイエス様が言われたのは、きっぱりとした拒絶、断固として断るという宣言です。そして、「~と書いてある」というのは、申命記6:13のみことばです。「あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい」。

 礼拝と奉仕とお祈りとは、神様にだけささげるものです。自分がどう思うか、ほかの人にどう思われるかは、気にする必要がまったくありません。神様だけを恐れ、神様にだけ仕える礼拝や奉仕やお祈りには、ほんとうの自由があります。人を恐れる必要がなく、人がどう思うかを考える必要がないからです。

Ⅲ.むすび

 私たちを造り、生かしておられる神様というお方に、信頼し従うことこそ、私たちにとってほんとうの安心です。私たちのために神様はひとり子であるイエス様をお送りくださり、イエス様は私たちの罪のために十字架で死んでくださり、3日目に復活され、私たちが罪と滅びから救い出され、神様の子どもとされる道を備えてくださいました。これほどまでに私たちを愛し、最善をしてくださる神様というお方に仕えることこそ、ほんとうの自由です。神様のことばである『聖書』を読み、みことばによって悪魔の誘惑を退けましょう。自分の考えや願いをお祈りによって神様にお話しするのは自由ですが、神様が自分に願っていることは何か、神様が喜ばれることは何かと神様の主権を認めて、神様に自分をまかせ、ゆだねて、神様に導かれる毎日を過ごしましょう。

(記:牧師 小暮智久)