2022年7月17日 礼拝説教 「生きておられる神様」

聖書: 使徒の働き 14章8~17節

Ⅰ.はじめに

 私たちが住んでいる日本では、イエス様を信じている人はとても少ないです。100人に1人ぐらいと言われています。お寺で仏像を拝む人、神社でお参りする人はとても多いと思います。ただ、毎日の生活で仏教を信じている人や神社がまつる神様を信じている人はどのくらいでしょうか。一番多いのは、神様を信じていないという人かもしれません。

 7月から、日曜日朝の「教会学校」は「世界に広がる福音」というテーマで『聖書』のことばを聴いています。「福音」とは、「しあわせのニュース」「喜びの知らせ」という意味で、ニュースの内容は「イエス様というお方がキリスト(救い主)です」ということです。今から2022年前に生まれ、私たちのために十字架で死んでくださったイエス様こそが、ただひとりのキリスト(救い主)だという、私たちにしあわせをもたらすニュースは、イエス様を知らない人々にどのようにして伝わり、どのようにして世界に広がっていったのでしょうか。私たちが住む日本で、私たちの身近な人々でイエス様を知らない人々に、イエス様を伝えるにはどうしたらよいのでしょうか?『聖書』に耳を傾けてみましょう。

Ⅱ.みことば

1.人間を神様だと拝む人々(使徒の働き 14章8~13節)

 約2000年前、西アジアの今のトルコという国のリステラという町で本当にあったことです。生まれつき足が動かず、歩いたことがない人(8節)が、パウロという人の「話すことに耳を傾けて」(9節)いました。パウロが話していたのは何か?それは「福音」(7節)です。「神様に対する私たちの背きのために十字架で死なれ、3日目に復活されたイエス様こそが救い主だ」という知らせです。ほかの町で伝える時も「主」と言われているイエス様が共におられました。「しるしと不思議を行わせ」(3節)たのはイエス様で、イエス様はそのしるしによって「この恵みのことば、福音は確かだよ」という証拠を示したのでした。

 パウロは、自分が話すことに耳を傾けるこの人をじっと見つめました(9節)。すると、「この人はイエス様を救い主と信じている」ということがわかりました。それが「癒されるにふさわしい信仰があるのを見て」(9節)ということです。「イエス様を信じるとすべての罪を赦され、神様の子どもとされる」という「福音」が本当だという証拠を、イエス様がお示しになられるようにパウロは何をしたか?10節をお読みします。私は何度か入院して手術を受け、何日か寝ていただけで足が弱り歩けなくなり、歩くには練習が必要だったことがあります。一度も歩いたことのない人が練習もせず「飛び上がり、歩き出した」(10節)とは信じられないようなことですが、この時イエス様が示した「しるし」だったのです。

 それを見た人々は大さわぎです。11節をお読みします。パウロと仲間のバルナバという人を、人間の姿になった神様だと言いました。ゼウスという神様をまつる神殿の祭司も牛を連れて来ていけにえをささげようとし、バルナバとパウロを神様として拝もうとしたのです(12~13節)。人間を神様として拝むことは昔だけではありません。この教会の入門クラスで共に学ぶ本の付録に「日本の神々(ご利益一覧表)」というのがあります。お宮や神社などで神様としてまつられているのが人間である場合は多いです。奇跡を行なう人や偉大な人を神様にしたくなる人々の姿は、今の日本とよく似ているのではないでしょうか。

2.まことの神様を伝える人々(使徒の働き 14章14~17節)

 自分たちを神様として拝もうとしているリステラの町の人々に、バルナバとパウロはどのようにしてまことの神様を伝えたのか?「衣を裂いて」(14節)というのは「私たちを神様だと拝むなんて、とんでもない。やめてください」という「憤りや嘆き」を表わす当時のユダヤ人の習慣です。えりから少し見える下着を両手でつかんで真下に30センチほどビリビリと破り、叫んだのでした。15節をお読みします。パウロたちは「あなたはまちがっている!」と言って町の人々を否定しませんでした。「どうしてこんなことをするのですか」(15節)と問いかけ、町の人々の考えを理解しようとしたのです。相手を否定せずに「私たちもあなたがたと同じ人間です」(15節)と自分たちを紹介し、「生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです」(15節)と何を伝えているのかを紹介したのでした。

 様々なものを神様として拝むことが多い日本で、まことの神様を伝えるにはどうしたらよいかを、私たちはこの時のパウロたちの態度やことばから教えられるのではないでしょうか。私たちも、相手の考えや信じていることを否定せずに、「生ける神」と言われる永遠に生きておられる神様を紹介できるのではないでしょうか。立派だけれども「死んだ人」ではなく、「生きておられる神」です。芸術的にはすばらしいが、誰かが木や石や金属などで作った神々の「像」ではなく、「すべてのものを造られた神」を示すことができます。

 神様は、どんなお方か?16~17節をお読みします。「天からの雨と実りの季節」(17節)を与え、「食物と喜び」(17節)で心を満たしてくださるのが神様だというのは、日本の私たちにも実感としてよくわかるのではないでしょうか。

 こうして、バルナバとパウロはようやく、自分たちにいけにえをささげるのをやめさせることができたのでした(18節)。しかし、ホッとする間もなく、今度はパウロたちと同じユダヤ人でイエス様を救い主とは信じない人々が、ほかの町から追いかけて来て、石を投げて殺そうとしたことなどが19節以降には書かれています。

 このように、「生ける神」、生きておられる神様、すべてのものを造られた神様を人々に伝えたパウロとバルナバには、色々な困難や妨げがありましたが、どのように伝えたらよいか、いつも共におられたイエス様が語ることばを備えて、助け導いてくださいました。

Ⅲ.むすび

 今の私たちも、様々な神様を信じる人々に囲まれています。あるいは、神様なんていないと思う人々も、身の回りには多いかもしれません。実は「神様はいない」と言う人々も「神様はいないと信じている」という「信じ方」のひとつだとも言えるでしょう。また、イエス様のことを全く知らない人も多いことでしょう。そのような中で私たちは、自分の説明で相手を納得させるとか、自分が何を信じているかを伝えるのではありません。Ⅱコリント4:5をお読みします。身近な家族や親族や友だちに、イエス様が働きかけてくださるように、まずお祈りしましょう。すると、質問されるなど、不思議と機会が与えられます。日本で『聖書』を読みたいと思っている人は多いようです。何かを信じるとしたらイエス様を信じたいという人も多いようです。お祈りして、機会が与えられたら、「生きておられる神様」が、今も生きておられるイエス様が導いてくださいます。

(記:牧師 小暮智久)