2023年2月26日 礼拝説教 「フリーメソジスト教会」
聖書: マタイの福音書 22章 34~40節
Ⅰ.はじめに
近くの公園で社会福祉協議会によるラジオ体操が火曜と木曜の朝10時からあり、20~30名が集まります。私は「体操のおじさん」役を頼まれていて、先日主催者側の人との雑談中に牧師の交代時期について聞かれました。世襲でなく任命制であると話し、教団の名前を言うと「えっ、フリーメーソンですか?」と言われたので「いいえ、フリーメソジストです。怪しい団体ではないですよ」と答えました。言葉の響きは似ているなあと思いましたし、「フリーメソジストって何?」と聞かれると答えるのは難しいなあと実感しました。
初めて教会に行く時、そこがどんな教団に属しているのかがわかった上で行く人は少ないと思います。私が初めて行ったのは「西所沢クリスチャンセンター」という宣教師のお宅で始まっていた教会学校で、のちに「所沢グレース教会」となりました。そこが「日本フリーメソジスト」という教団に属していると知ったのは、だいぶあとです。洗礼を受ける場合、前もって自分で教団を選んだというよりは、通うようになった教会がその教団であったという人が多いのではないでしょうか。その意味では、生まれる場所や人種を自分では選べないというのと少し似ているように思います。「同じキリスト教会のはずなのに、なぜこんなに多くの教派や教団や単立の教会などに分かれているのか」という疑問もあると思いますが、約2000年の歴史の中で強調点やリーダーの違いによって様々な教派・教団に分かれて来たのは現実であり、国籍や出身地のない人が普通はいないのと同様に、クリスチャンはどこかの教会に「教会籍」があります。私たちが属するフリーメソジスト教会とはどんな歴史と特徴があるのか、ともにみことばに聴きつつ思い巡らしましょう。
Ⅱ.みことば
1.その歴史~イエス様から私たちまで(マタイの福音書 22章34~40節)
フリーメソジスト教会のルーツは、約2023年前に生まれたイエス様にあります。その時代のユダヤ教にも「パリサイ人」「サドカイ人」というグループ、言わば教派・教団があったことがわかります。そのパリサイ派の一人がイエス様に質問します(36節)。イエス様はどう答えたか?37~40節をお読みします。イエス様は口先だけでなく、実際に神様を愛し、隣り人を自分と同じように愛する日々を過ごされました。その極みは、自分を正しいとする私たちの罪の身代わりに十字架で死なれた事実に示されています。3日目の日曜日の復活は、罪の身代わりの死が神様に受け入れられたことのしるしでもあります。私たちが日曜日を「主の日」と呼び集まって礼拝するのは、イエス様の復活を記念するからです。
イエス様は復活後、40日間弟子たちと共におられ、天に昇られました。その10日後のペンテコステ、聖霊である神様が来られ、エルサレムでイエス様の弟子たちを中心に最初の教会がかたちづくられます。これは初代教会と呼ばれ、その後、迫害の中でも後継者たちにより、地中海世界に広がっていきました。1054年、ローマ帝国が東西に分かれたことで、東方教会(ロシアやギリシアなどの正教会)と西方教会(ローマ・カトリック教会)に分かれ、16世紀に西方教会からプロテスタント教会が分かれ、英国国教会(聖公会)がカトリック教会から独立、英国国教会の司祭ジョン・ウェスレーたちによる改革運動(メソッド(方式)に几帳面だからメソジストというあだ名で呼ばれた)が始まり、18世紀末にメソジスト教会となります。米国に広がったメソジスト教会でB.T.ロバーツらによる改革運動が起き、フリーメソジスト教会ができたのが1860年。日本での伝道は1896年淡路島で柿原正次が始め、河邊貞吉が指導者となり大阪に広がり、1923年(ちょうど100年前)に土山鐡次を中心に阿倍野区で組織された自由メソヂスト第3教会が今の私たちへとつながっています。
フリーメソジスト教会は設立から今までの163年間で、96の国に広がり、約120万人の教会員がいます。今最も多いのはアフリカ(54万人)とアジア(46万人)です。
日本のフリーメソジスト教会は現在,東部教区に6教会(南仙台,日立,勝田,所沢,町田,清水)、中部教区に14教会(大阪市内5,豊中市1,箕面市1,堺市1,和歌山県2,京都府1,奈良県2,名古屋市1)、西部教区に6教会(三田市1,西宮市1,明石市1,加古川市1,尼崎市1,神戸市1)、計24の教会と2つの伝道所で教会員は1700人、礼拝出席者は455人で、全体で一つの教会です。理事長(ビショップ)が牧師を1年ごとに各教会に任命し、この教会にこの先、同じ教団の他の牧師が任命されることもあります。理事長と理事、教団の各教会に関心を持ち、お祈りください。
2.その特徴~イエス様に似た者に(マタイの福音書 22章34~40節)
日本のクリスチャンは約105万人(2017年)、そのうちカトリック教会は44万人、正教会は1万人、プロテスタント教会は60万人です。多くの教団があるのがプロテステント教会の特質ですが、フリーメソジスト教会の特徴とは何か?それは、今日の週報の一番下にある「フリーメソジスト教会の使命」にも明らかにされています。「イエス・キリストによる『罪の赦し』と『きよめ』を通してなされる全人的完成への神の召し」とあるように、イエス様を信じて罪を赦していただき天国に行くためだけの「神の召し」(招き,救い)ではなく、イエス様に似た者とされる(全人的完成への)神様の救いの全体を強調することです。それは、「罪の赦し」につづく「きよめ」(全き聖化)という神様の恵みによってなされていき、きよめの恵みは、自分のすべてを尽くして神様を愛し,自分の隣り人を自分と同じように愛する生活(マタイ22:37~39)を可能とし,私たちをイエス様に似た者へと変え続けます。
パリサイ人は「どの戒めが一番重要ですか」(36節)と尋ねたのに対し、イエス様は「一番」を「二つ」示しました。40節をお読みします。一番大切なこの二つは切り離せないと言われたのです。主を愛しているなら、主が愛している他の人を大切にするし、他の人に関心を向けず関わろうとしないなら、主を愛しているとは言えないのではないでしょうか。
このことは「フリーメソジスト」の「フリー(自由)」の意味をも思い起こさせます。それは、礼拝堂の有料座席制度や奴隷制を容認していた当時の教会の「差別からのフリー」であり、フリーメーソンという秘密結社など「人間的な束縛からのフリー」であり、礼拝では聖霊による自由を大切にし、貧しい人々に福音を伝え、医療や教育など支援を行なうなど、本来のメソジストおよび初代教会に立ち返るための「フリー」です。
Ⅲ.むすび
洗礼の準備クラスでお渡ししている「日本フリーメソジスト教団 教憲」の最初のページの下の方に「新約聖書は、目に見える教会が理想の教会ではないことを示している」とあります。「教会なのに、なぜこんな人がいて、こんなことがあるのだろう」とため息をつき、疲れることがあるでしょうか。教会は、神様と人が協力する共同体で、「今も建設工事中」です。つまずかせるものがあちこちにあり、自分もことばや態度によほど注意しないと誰かをつまずかせることもあります。主はそんな「工事中」の教会を愛し、欠けや弱さのある私たちを愛しておられます。そうは言われても、私たちは誰かに愛され、理解され、受け入れられることに慣れていないかもしれません。まず、神様にどれほど愛され、理解され、受け入れられているかを黙想し、味わい、実感し、そこから、主を愛し、身近な人を理解し、思いやり、適切に関わる者へと変えられていきましょう。
(記:牧師 小暮智久)