2022年12月24日 クリスマス・イブ キャンドルサービス説教 「本気で確かめる」

聖書: マタイの福音書 2章1~12節

Ⅰ.はじめに

 今週の火曜日、12月20日から年末までの10日間、太陽系のすべての惑星が夕方の空に姿を現わすのだそうです。明日25日は月齢1.7の細い月も加わるので、曜日を示す「月・火・水・木・金・土」のすべての星がそろいます。西から順に、金星、水星、月、土星、海王星、木星、天王星、火星と並ぶことになります。次に月と太陽系のこれら7つの全部の惑星がそろって見えるのは39年後の2061年だそうですから、非常に珍しい現象です。

 夜空を見上げて、珍しい星の並びや不思議な星に注目する気持ちというのは、時代や場所を超えて多くの人に共通するのではないでしょうか。先ほどは、星を見て旅立った人々のことを『聖書』からお聴きしました。それは、どんな人々だったのでしょうか?

Ⅱ.みことば

1.星を見て旅立った人々(マタイの福音書 2章1~2節)

 星を見て旅立った人々のことが、『聖書』の「マタイの福音書」という西暦60年代に書かれた文書に、「東の方から博士たちがエルサレムにやって来て」(1節)と紹介されています。それは、いつのことか?「イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき」(1節)と言われています。それは、今から約2022年前、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ地方を、ヘロデという人が治めていた時代の事です。のちに、「西暦」という年号の数え方の元年(1年目)となったイエスという人が生まれた時の出来事です。

 「博士たち」が旅立った東の方とはどこか?それは、西アジアのエルサレムから見て東、今のイラクあたりと考えられます。その旅路の距離は約1200km、1日15km歩いたとして約2~3ヶ月でしょうか。現代の精密なプラネタリウムで昔の空を再現できるそうで、この特別な星を再現してみると、いくつかの可能性があります。その中で、紀元前2年6月15日の日没後にバビロンから西の空に金星と木星が接近して見えるので、それを見て博士たちは出発し、8月にユダヤに着き、8月24日の日の出前に東の空に水星と火星と土星が接近して見えたのがベツレヘムに導く星だった可能性が高いようです。

 それにしても、なぜ東の外国の人々が、西のユダヤの新しい王様に会いに行こうとしたのか?紀元前の時代にユダヤの人々がイラクあたりに捕囚とされていたことがあり、ユダヤにやがて救い主が生まれるという『聖書』の約束をそこに住む人々が聞いた可能性があります。それを信じた外国人が、星を見て旅立ったのは興味深いことではないでしょうか。

2.情報の交換(マタイの福音書 2章3~8節)

 特別な星を見て東から旅をして来た外国人から、ユダヤ人の王が生まれたと聞かされたユダヤの人々はどう思ったか?ヘロデ王は動揺します。自分の立場が危なくなると考えたのでしょう。ユダヤの人々も動揺します(3節)。「今はローマ帝国に支配されて自由はないが、もう馴れているし、変化はいやだ。新しい王なんていらない」。そんな思いでしょうか。

 ヘロデは調べ始めます(4節)。自分の立場を守るためです。今で言えば、スマホで「キリストが生まれる場所」と検索するようなことでしょうか。それが南へ8kmの所にあるベツレヘムという小さな村だとつきとめると(5~6節)、この情報を東からの博士たちに伝え、さらに詳しい情報を知らせてくれと彼らに頼んだのでした(7~8節)。

 ここに情報の交換の場面があります。東の人々は「星」の情報をヘロデ王に伝え、ヘロデ王はユダヤ教徒たちに『旧約聖書』を調べさせてキリスト誕生の場所についての情報を彼らに伝え、お互いに情報を交換したのでした。アジアの東と西の人々の互いの交流や情報の交換は、思う以上に活発だったのかもしれません。よく知られているのは、中国から中東を通ってトルコへと続くシルクロード。804年に31歳で日本から中国に渡った空海(のちの弘法大師)が、その頃すでに中東から中国に伝えられたキリストのことを聞いたかもしれないという推測があります。弘法大師は奈良の高野山を中心に真言宗を広めていきますが、弘法大師の時代に中国でキリスト教が広まっていたという記念碑の複製が今も高野山にあるのは興味深いことです。大切なのは、「その情報をどうするか」ではないでしょうか。

3.自分で確かめる(マタイの福音書 2章9~12節)

 東から長い旅をして来た人々は、ユダヤの人々が「キリスト」と呼ぶ新しい王が生まれる場所の情報を知っていても行こうとしないのを見て、どう思ったでしょうか?「ユダヤの人々が関心をもたない王様なら会っても無駄だ、もう帰ろうか」と思ったでしょうか。

 「博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った」(9節)とあります。彼らは、ほかの人々はどうであっても、自分で確かめようと出かけたのです。王が言った情報にはそれだけの価値がある、自分の永遠を左右する大切な情報だと予感したのでしょう。「すると見よ」(9節)。彼らを励ましたのは、「かつて昇るのを見たあの星」(9節)、その星の導きでした。

 この星は、ベツレヘムで博士たちよりも先に進み、キリストのいる所にとどまったと書かれていますから、惑星などふつうの星ではなく、超自然的な星だったのかもしれません。「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」(10節)のでした。ついに東からの人々は生まれたばかりの新しい王である幼な子キリストに会ったのです。大人が赤ちゃんの前にひれ伏して拝み、贈り物をささげます(11節)。贈り物をささげることは、当時の東の国では「忠実に従い、仕えます」というしるしだったそうです。彼らは本気で赤ちゃんであるキリストの前にひれ伏して礼拝し、「あなたに忠実に従います」という誓いを立てたのでした。

 一方、ヘロデも本気でした。博士たちが都エルサレムに寄らずに帰ったことを知ると彼は激怒し、博士たちから聞いた情報をもとにベツレヘム近辺の2歳以下の男の子をすべて殺させます(16節)。新しい王キリストに対し、自分にはじゃまだと殺すのか、それとも忠実に従うのか、本気でどうするのかが今の私たちにも問われているのではないでしょうか。

Ⅲ.むすび

 このキリストは、「紀元前」と「西暦」という年の数え方を分けるほど、世界の歴史に影響を与えています。しかも、今日見たように、キリストはアメリカやヨーロッパで生まれたのではありません。キリストは西アジアで生まれたのであり、星を見た東のアジアから長い旅をして会いに行った人々がいたのです。このキリストの誕生が「クリスマス」として世界中でお祝いされていることも、たまたまではなく、自分に意味のあることではないでしょうか。なぜなら、キリストは、神様によって生かされているすべての人のために十字架で死ぬためにお生まれになられ、死んで3日目に復活されたのが日曜日であったのを記念するため「休日」として世界に広がる発端となったお方だからです。自分にとってキリストとはどんなお方なのか、本気で確かめる日として、この「クリスマス」を過ごし、キリストに生涯を通して従い、仕えていく誓いを新たにしましょう。

(記:牧師 小暮智久)