2021年9月19日 礼拝説教「失敗したときに」
聖書: 士師記 16章28~31節
Ⅰ.はじめに
菅首相がやめることになり、次に誰がこの国のリーダーになるか、注目されています。コロナの問題だけでなく、多くの課題があり、誰がリーダーになってもしばらくは先が見えない時が続くのではないでしょうか。それは、今の時代だけではありません。今日は、子どもと大人の合同の礼拝で、「教会学校」で読まれる『聖書』の所を読んでいただきました。「教会学校」は8月の終わりから、「士師の時代」というテーマです。「士師」とは、「旧約聖書」のモーセとその次のヨシュアという指導者の次に立てられたイスラエルの民のリーダーのことで、「さばきつかさ」とも呼ばれました。今から約3400年前~3050年前のこの時代は、人々がまことの神様を信じなくなり、混乱した時代と言えます。人々は、まことの神様以外の偶像を礼拝し、すると、外国の人々が攻めて来て生活がつらくなり、人々は神様に助けを叫び求めます。すると、まことの神様は「士師(さばきつかさ)」と呼ばれるリーダーを立てて助けてくださいますが、生活が楽になり落ち着くとまた偶像を礼拝し、するとまた外国が攻めて来てということを繰り返したのでした。このような混乱の時代は、今とよく似ているかもしれません。その時代に士師と呼ばれるリーダーは12人立てられ、今日はそのうちのひとり、サムソンという人に注目して、みことばに聴きましょう。
Ⅱ.みことば
1.サムソンが生まれた時(士師記 13章~15章)
サムソンはどのようにして生まれたのでしょうか?それは、士師記13章に書かれています。1節を読んでみましょう。「イスラエルの子ら」とは、神様に選ばれ、愛されていたイスラエルの人々のことです。神様に愛されていたのに、神様の目に悪であることを重ねて行なったのです。まことの神様以外の、人が作った偶像を拝むこともしたのでしょう。神様は40年という長い間、ペリシテ人という外国の人々の支配のもとにイスラエルの人々をまかせたのでした。この「ペリシテ」という名前が、今の「パレスチナ」という地名の元になっているのだそうです。そのころ、イスラエルのマノアという人の奥さんに主の使いが現われ「あなたは身ごもって男の子を産む」(13:3)と言われます。「その子は生まれる前から神様にささげられた特別な人だから、酒を飲んではならず、髪の毛を決してそってはならない。その子はイスラエルをペリシテ人の手から救うようになる」とも言われたのです(13:4-5)。生まれた男の子はサムソン(太陽の人という意味)と名づけられました。
大人になったサムソンは、ものすごく大きな力の持ち主となりました。神様に力を与えられていたからです。向かってきたライオンを素手で引き裂いたり(14:5-6)、ろばのあご骨を振り回して1000人ものペリシテ人を打ち負かしたり(15:14-16)しました。ペリシテ人はなんとかして、このサムソンをやっつけたいと考えたのです。
2.サムソンの失敗(士師記 16章1~22節)
力では誰にも負けないと思えたサムソンでしたが、弱さもあったのです。それは、自分の気持ちや感情のままに、自分勝手な行動をしてしまうことでした。サムソンは、まことの神様を信じないデリラという女の人を好きになりました(16:4)。ペリシテ人たちはデリラに大金を約束して、サムソンの力の秘密を調べてほしいと頼みます(16:5)。デリラはサムソンに言います。「どうか私に教えて。あなたの力の秘密はどこにあるの?」(16:6)。サムソンは「新しい弓のつるで縛れば、私は弱くなるよ」と本当のことを言いませんでした(16:7)。デリラはその通りにしますが、サムソンはあっと言う間に弓のつるを断ち切ってしまいました(16:8-9)。「まあ、私をだましてうそをついたのね。本当に私を好きなら、本当のことを教えてよ」とデリラは毎日しつこくサムソンに迫りました(16:10-16)。
大好きなデリラに毎日しつこく聞かれて、とうとうサムソンは秘密を話してしまいます。「私は生まれる前から神様にささげられていて、髪の毛をそったことがない。もし髪の毛をそり落とすなら私の力はなくなるだろう」(16:17)。デリラはひそかにペリシテ人を呼び寄せ、サムソンが眠っている間に髪の毛をそり落としたのです(16:18-19)。彼は目をさまし、ペリシテ人と戦おうとします。「彼は、主が自分から離れられたことを知らなかった」(20節)。彼は神様の命令を破り、髪の毛をそられ、ただ力を失っただけでなく、神様が自分から離れたことを知らなかったのです。このようにして、サムソンは失敗し、ペリシテ人に捕らえられ、目をつぶされ、牢に閉じ込められてしまいました(16:21)。
3.失敗したあとのサムソン(士師記 16章28~31節)
失敗したあとのサムソンはどうしたでしょうか?その後、ペリシテ人たちが信じる偶像の神をほめたたえる祭りで、サムソンはその神殿に見せ物として引き出され、ペリシテ人たちはサムソンをあざ笑いました(16:23-25)。それはちょうど、サムソンの信じる神があざけられているかのようでした。サムソンはその時、どうしたか?28節を読みましょう。彼はお祈りしたのです。サムソンのお祈りのことばが書かれているのは15:18とここだけです。「神、主よ、どうか私を心に留めてください」(28節)という彼のお祈りには、自分には願う資格はないけれど、自分を心に留めてほしいと心を低くして求める態度がよくあらわれているのではないでしょうか。神様はサムソンにもう一度力を与えてくださいました。このあとサムソンが「神殿を支えている二本の中柱」(29節)を探り当て、力を込めてそれを押し広げると、神殿の全体が崩れ落ちたのです(16:30)。2本の柱が折れるだけで全体が崩れるとは思えませんが、2本の柱が天井を支えているという神殿の構造は、エル・カッシーレという遺跡の発掘からも知られていて、これが約3000年前の本当の出来事だということを示しています。こうしてサムソンと共に多くのペリシテ人が下敷きとなり、サムソンはイスラエルの人々をペリシテ人たちから救う働きをしたのでした。
Ⅲ.むすび
弱さも失敗もあるサムソンの姿は、当時のイスラエルの民の姿でもあり、今の私たちとも似ているのではないでしょうか。自分の弱さに気づくこと、失敗することは誰にでもあります。大切なのは、そのときにどうするかです。それが、神様に喜ばれないことならば、イエス様はそのためにも十字架で死んでくださったことを感謝し、神様にお祈りの中で告白してあやまり、ゆるしていただきましょう。それが罪ではなく弱さならば、そこにも神様が働きかけて助けてくださるように、お祈りしましょう。順調な時も、そうでない時も、どんな時も、神様はご自分に信頼することを喜ばれます。
(記:牧師 小暮智久)