2020年10月18日 礼拝説教「大切なもの」

聖書: 創世記 25章27~34節

Ⅰ.はじめに

 今の私たちにとって「大切なもの」とは何でしょうか?子どもたちにとっては、ゲーム、スマホ、音楽やアニメもそうでしょうか。「鬼滅の刃(きめつのやいば)」というのもはやっているそうですね。また、スポーツも勉強も、友だちも大切でしょう。また、誰にとっても、食べ物や着るもの、住む場所やお金も大切ではないでしょうか。何よりも健康が大切だとしみじみ感じる人もおられるでしょう。しかし、それらを全部自分のものにできたとして、全世界を手に入れたとして、それらよりも「大切なもの」はないのでしょうか?

 今日は月に一度の子どもと大人いっしょの礼拝です。合同礼拝では日曜朝の「教会学校」でお聴きしている『聖書』の場面から、神様のことばをお聴きしています。今、「教会学校」にはしばらく子どもたちが来ていません。でも、教師たちで「教会学校」の礼拝を続けていて、いつでもだれでも来られるようにお祈りしつつ待っています。「教会学校」の今の単元は「族長たちの時代」です。族長たちというのは、神様の民として選ばれたイスラエル民族の先祖たちのことで、アブラハムやその子どものイサクという人たちのことです。この単元の目標は「深いご計画をもって民を導かれる神に、信頼して従う」ということです。

 先ほどお聴きした『聖書』のことばから、神様からいただいた大切なものをなくさないためにはどうしたらよいか、大切なものを生かせるように神様によって導かれるにはどうしたらよいか、昔の人たちの出来事と今の私たちとのつながりをお聴きしましょう。

Ⅱ.みことば

1.大切なものを手放してしまった人(創世記 25章19~34節)

 今から約4000年前、西アジアにアブラハムという人がいました。その息子はイサクと言い、40歳の時にリベカという人と結婚しました。二人には長い間子どもが生まれませんでしたが、イサクのお祈りを神様は聞き入れてくださいました。リベカはふたごを身ごもります(21節)。神様は「ふたごは二つの国民となり、兄が弟に仕える」とリベカに言われます(23節)。これが神様のご計画でした。生まれたふたごの兄はエサウ、弟はヤコブと名づけられます。この時、父のイサクは60歳、結婚して20年たったことになります(26節)。

 先ほどお聴きしたのは、このふたごが成長したときのことです。兄のエサウは野原で狩りをする人になり、弟のヤコブは穏やかな人で家にいました(27節)。ある日、弟のヤコブが豆の煮ものを煮ていると、兄のエサウが野原から帰って来ました(29節)。エサウは「ああ、おなかがペコペコだ。その赤い豆の煮物を食べさせてくれよ」とヤコブに願います(30節)。ヤコブはどうしたか?31節を読みましょう。ヤコブは兄に豆の煮物とひきかえに「長子の権利を売ってください」と言ったのでした。「長子の権利」とは、長男がお父さんから受け継ぐ権利のことです。長男はほかの兄弟より2倍のものがもらえて、特にこのふたごにとっては、神様からの特別な祝福の約束を、アブラハム、イサクに続いて受け継ぐ権利が何よりも「大切なもの」で、エサウはその権利をもっていました。エサウはどうしたか?32節を見ましょう。「長子の権利」なんて今の自分には何の役にも立たないからと、弟のヤコブに売ってしまいます。こうして兄エサウは大切なものを手放してしまったのです。

 私たちにとって手放してはならない神様の祝福とは、どのようなものでしょうか?たとえば、今教会に来られていること、親や家族や知り合いがクリスチャンであること、『聖書』が家にあることも、神様の祝福ではないでしょうか。そして、特にイエス様を救い主と信じていること、それによって神様の子どもとされ、神様の国の相続人とされていることは神様の特別な祝福で大切なものです。手放してしまったら、永遠の損になってしまいます。

2.大切なものを奪い取った人(創世記 27章1~45節)

 時が過ぎてある日、お父さんのイサクが長男のエサウに「私はすっかり年を取り、いつ死ぬかわからない。狩りに行って獲物を捕り、料理しておくれ。それを食べたら、おまえに神様の特別な祝福を継がせよう」と言いました(2~4節)。それを聞いていたお母さんのリベカは次男のヤコブに「私が料理を作るから、それを持って行って、兄さんの代わりに神様の特別な祝福を受けなさい」(5~10節)と言います。ヤコブは「兄さんは毛深いのに、私の肌はなめらかです。お父さんが私にさわったら、兄さんではないとわかってしまいますよ」と言いますが、お母さんのリベカはエサウの服をヤコブに着せ、両腕と首にヤギの毛皮を巻きつけました。こうして、ヤコブはお父さんのところへ行ったのです(11~17節)。

 ヤコブは、お父さんのイサクに自分が兄ではないとバレはしないかとドキドキしていたことでしょう。18~24節を読みましょう。こうしてヤコブはお父さんをだまして、神様の特別な祝福を、兄のエサウから奪ってしまいます。27~29節を見ましょう。そのあと、兄のエサウがやって来ます。お父さんは「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえへの祝福を奪い取ってしまった」(35節)と言いました。こうして、神様の特別な祝福を奪い取られたエサウは怒り、ヤコブを憎みました。それで、ヤコブは一人で家を出て、遠くに住む親せきの家に逃げなければならなくなりました(41~45節)。

 神様のご計画は、弟のヤコブがアブラハムから続く神様の特別な祝福を受け継ぐことでした。しかし、そのために、お父さんのイサクをだまし、兄のエサウに憎まれる必要はなかったはずです。お母さんのリベカが自分の考えでお父さんのイサクをだまし、祝福を奪い取る計画を立て、ヤコブがそれに従ったことで、ヤコブは兄にうらまれ、自分の家から逃げることになってしまったのでした。

 今の私たちにとっても、自分の考えを優先して、神様のみこころやご計画を求めず、神様の時というものを待たず、身近な人々との関係がうまくいかないということがないでしょうか?自分の思いや考えを優先せず、神様のお考えや神様の思いを求め、神様が働かれるのを待つ必要が、私たちが今週、出くわす出来事の中であるかもしれません。

Ⅲ.むすび

 今の私たちにとって、ほかの何よりも「大切なもの」とは何でしょうか?今から約2000年前に、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫として神様がお送りくださった救い主イエス様は言われました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」(マタイ16:26)。何よりも「大切なもの」とは、「自分のいのち」、しかも、いのちをくださった神様とつながっている「永遠のいのち」です。私たちは、弟のヤコブのように自分の考えを優先させるのではなく、自分の罪のために死んで、3日目に復活されたイエス様を救い主として素直に信じ受け入れ、「永遠のいのち」をいただきましょう。また、兄のエサウのようにせっかく与えられている「大切なもの」を手放すのではなく、どんなことがあってもこれからずっと、イエス様を信じ続け、神様の相続人として、神の国の相続人として、神様と一緒に生活していきましょう。

(記:牧師 小暮智久)