2023年4月9日 礼拝説教 「イースター」
聖書: ルカの福音書 24章1~12節
Ⅰ.はじめに
新年度が始まりました。新しい学校、新しいクラスにはなじめそうでしょうか。環境や人間関係の「新しい変化」に疲れを感じているかもしれません。「新しい変化」は、それが嬉しいことでも、自分の負担となっている時があるようです。例えば、ケガや病気などは大きなストレスでしょうが、出世とか結婚などの嬉しいことも大きなストレスになるそうです。自分が変化を感じている時は、自分の身体と心を大切にして過ごしたいものです。
全世界の教会は今日、「イースター」という特別な日を迎えています。イースターとは何か?この教会では長い間、イースターの午後に「召天者の合同記念会」がもたれていましたから(今年は11月5日に予定されています)「イースターは合同記念会」というイメージが強いでしょうか。「イースター」は「復活祭」です。世界初のことが起きた「新しい変化」の時です。「イースター」はイエス様が死から復活されたことを記念し、お祝いする日です。復活されたイエス様と出会った人は、大きく変えられていきました。それは、約2000年前の春の日曜日でした。「その日」に人々はどんな経験をしたのでしょうか?
Ⅱ.みことば
1.お墓に行った人々(ルカの福音書 24章1~8節)
「週の初めの日」(1節)とは今の日曜日、当時はお休みの日ではなく、1週間の仕事始めの日でした。当時のお休みの日である土曜日が終わり、夜が明けて、お墓に行く女の人たちがいました。何のためか?3日前の金曜日に十字架で死刑にされたイエス様のおからだに、良い香りがするものをぬるためです(1節)。今までイエス様について来て、そのイエス様が死なれてこれからどうしようかと悲しんでいた彼女たちにとって、その週の仕事始めは、せめてイエス様のために何かしたいと思い、お墓に行き香料をぬることだったのです。彼女たちは金曜日にイエス様のお墓をよく見ていました。当時のお墓は「ほらあな」のような形で、ご遺体を運ぶ人も中に入れるほどのスペースがあり、入り口は大きな石でふたをするという形でした。彼女たちは、イエス様のおからだはそのお墓の中にあるはずだと思っていました。お墓に着いた彼女たちが見たものは何か?2~3節をお読みします。お墓の入り口はあいており、中に入るとイエス様のからだはなかったのです。彼女たちはどんな気持ちだったか?4節に「そのため途方に暮れていると」とあります。それは、どうしたらいいかわからなくなることです。混乱や動揺という気持ちでしょう。
すると輝く衣の人が近づいて来て、彼女たちはこわくなりました(4~5節)。輝く衣の人は言います。5節後半~7節をお読みします。「思い出しなさい」(6節)と言われて彼女たちはどうしたか?3日目によみがえると言われた「イエスのことばを思い出した」(8節)のです。彼女たちはイエス様のおからだがお墓にないことに混乱しつつも、イエス様のことばを思い出して、3日目の今日、イエス様は復活したのだとわかったのです。
2.信じなかった人々(ルカの福音書 24章9~12節)
イエス様にこれまでついて来た女の人たちの気持ちをふり返ってみます。彼女たちは、先週の金曜日にはイエス様が十字架で死んでしまい、悲しく思いました。日曜日の朝、お墓に来てみたら、石のふたがあき中のイエス様のおからだがなくなっていて、もうどうしたらよいかわからない気持ちでした。すると、輝く衣の人から「イエス様はここにはおられない。復活したのです」と聞き、びっくりしました。イエス様が前に言われたことを思い出すようにと言われて、「そうか、イエス様は復活されたのだ」とわかってからはうれしくなったことでしょう。彼女たちの気持ちの変化は大きく、ついていけないほどです。彼女たちは、どうしたか?9節をお読みします。そうとわかったら、もう知らせずにはおれませんでした。彼女たちは11人の使徒やほかの弟子たちにも、このことをすべて報告したのです。第1発見者の彼女たちの名前は2000年間伝えられて来ました。当時は女性の証言は軽く見られたそうですが、神様は復活のニュースを伝えるために、女性たちを用いられたのです。それを聞いた11人の使徒たちはどうだったか?10~11節をお読みします。
イエス様の一番近くにいた11人の使徒たちは信じませんでした。「たわごと」(11節)というのは、「心が混乱した時のうわごと」という意味でお医者さんが使うことばだそうです。この福音書を書いたルカはお医者さんでしたから、ルカらしい表現でしょう。イエス様が3日目に復活すると言っていたことを思い出すように言われたことも弟子たちは聞いたでしょうが、彼らはこの時は思い出せなかったようです。もしここに「弟子たちは、イエス様は復活したのだとすぐに信じて、お祝いを始めた」と書かれていたら、あまりにも不自然で、復活は作り話に思えるかもしれません。今の私たちがそこにいたら、弟子たちと同じように、すぐには信じられないのではないか。このような弟子たちの姿がそのまま書かれているからこそ、この日曜日に起きたのはまさに「ほんとうの出来事だ」と実感できるのではないでしょうか。ペテロだけは見に行きます。でも驚いただけで家に帰るのもペテロらしいと言えるかもしれません(12節)。ここには約2000年前の現場の空気があります。
Ⅲ.むすび
これが約2000年前のその日曜日、最初の「イースター」の出来事で、人々が経験したことです。十字架で死なれた人が復活されたと聞き、驚いて知らせた人々や聞いても信じられない人々がいました。このあと、復活されたイエス様ご自身が弟子たちに現われ、弟子たちも復活を信じ、イエス様が復活された日曜日を特別な日として集まるようになります。迫害の時代のあと、イエス様の復活を記念する日曜日は礼拝の日としてお休みになり、日曜日はお休みというカレンダーが世界に広がっていきました。イエス様が十字架で死なれただけでなく、3日目に復活されたことで、イエス様を信じるなら罪を全部赦されて救われることが確かだとはっきりし、イエス様を信じる人はイエス様がもう一度来られる日に「新しい復活のからだ」を与えられて「新しい地」に住むことも確かだということがはっきりしました。イエス様を信じる人は、日曜日は教会に集まって神様を礼拝することで、「信じていること」を、神様に対しても、人々に対してもあらわすのです。日曜日は毎週がイエス様の復活記念日。日曜日には集まって神様を礼拝しましょう。
(記:牧師 小暮智久)