2020年11月15日 礼拝説教「つらいときに」
聖書: 創世記 39章19~23節
Ⅰ.はじめに
私たちが過ごす毎日には、いろいろなことがあります。楽しいことも、つらいこともあります。私たちは、楽しいとき、順調なときは、神様のご計画についてあまり考えないかもしれません。むしろ、つらいとき、さびしいとき、神様はどこにおられ、何を考えているのだろうと思うかもしれません。イエス様を信じたあとも、信じる前と同じようにつらいことがあるとすれば、信じる前と信じたあとでは、なにが違うのでしょうか?つらいときに、どうしたらよいのでしょうか?
今日の礼拝で歌う2つのさんびに共通することばがあります。「神さま 今日もみこころをおこなう日にしてください」(子どもさんびか4)、「示したまえ 深い主のみこころを」(新聖歌333)と、この2つのさんびに共通するのは「みこころ」です。「みこころ」とは「神様のこころ」、神様の考えやご計画のことです。
子どもと大人一緒の「合同礼拝」のときには、「教会学校」で読まれる『聖書』の場面からお聴きしています。「教会学校」では今、「族長」と言われるイスラエルの民の先祖たちのことが取り上げられています。そして、「深いご計画をもって民を導かれる神に、信頼して従う」ということが目標とされています。ご計画をもって昔の人々を導かれた神様は、今も私たちにご計画をもっておられるのでしょうか?みことばに共に聴きましょう。
Ⅱ.みことば
1.奴隷から囚人へ(創世記 39章19~23節)
「彼」(19節)とはヨセフという人です。ヨセフは今から約3900年前に実際に西アジアにいた人で、イスラエルの民の先祖アブラハムの孫ヤコブという人の11番目の息子です。お父さんのえこひいきや、見た夢を話したことがきっかけで、お兄さんたちに憎まれ、奴隷として売られてしまいます。ヨセフはこの時17歳、遠い外国、エジプトという国にいました。「主人」(19節)とはポティファルという人です。奴隷となったヨセフは主人に一生懸命仕えて働き、全財産をまかされるようになりました。ヨセフは今で言うイケメンだったようです。そんな彼を主人の妻が誘惑します。ヨセフは誘惑をきっぱりとことわります。なぜ、ことわれたのでしょうか?それは、外国でひとりぼっちでも、奴隷になっても、神様がともにおられると実感していたからです。しかし、主人の妻は、ことわったヨセフの方が誘惑してきたと主人に言いつけるのです。主人はどうしたでしょうか?19~20節を読みましょう。主人は怒り、ヨセフを監獄に、今で言う刑務所に入れたのです。ヨセフにしてみれば、神様が共におられたからこそ、誘惑をことわり、正しいことをしているのに、それが曲げられ、奴隷から囚人に、さらにつらいことになってしまったのでした。
あなただったら、どうしますか?神様に従ったのに、神様に従ったからこそ、ますますつらいことになる。外国で親も兄弟もいない。ひとりぼっちで自由もない。そんなとき、どうするでしょうか?神様はどこにいるのか?21節を聴きましょう。「しかし」、大切なことばです。「主はヨセフとともにおられ」(21節)。そんなときこそ、神様が共におられるのがわかるということを、このみことばは今も私たちに示しているのではないでしょうか。
2.監獄での出来事(創世記 40章1~23節)
奴隷から囚人になってしまったヨセフは、その後どうしたでしょうか?そこでも神様は共におられ、ヨセフは神様に信頼して過ごします。監獄の長はなんと、すべての囚人をヨセフにゆだねるほど、ヨセフを信頼したのでした(39:21~22)。神様に信頼する人は、人からも信頼されるのです。神様が共におられる人は、神様にも人にも誠実に正直に接します。
しばらくして、エジプトの献酌官長(王様にお酒をつぐ人のリーダー)と料理官長(料理人のリーダー)が、何か失敗して、ヨセフと同じ監獄に入れられました(40:1~3)。ある日、夢を見たこの二人の人は、夢の意味がわからず不安な顔をしています(40:5~6)。ヨセフはこの二人に「解き明かしは、神のなさることではありませんか」(40:8)と声をかけ、それぞれの夢の意味を説明してあげました。「神のなさること」とヨセフが言ったことからも、ヨセフが共におられる神様に信頼していたことがわかります。ヨセフは、王様にお酒をつぐ人のリーダーに、「監獄から出て元の仕事に戻った時には、自分がここから出られるように、王様にお願いしてほしい」とたのみました(40:14,15)。ところが、その人は監獄から出て王様に仕える仕事に戻ると、ヨセフのことを忘れてしまいます(40:23)。「このつらいときは、いつまで続くのかなあ?」と気が沈む時、あなただったらどうするでしょうか?
3.王の夢とヨセフ(創世記 41章1~46節)
その2年後、エジプトの王様が夢を見ます。王様にその夢の意味を説明できる人はだれもいませんでした(41:1~8)。その時、王様にお酒をつぐリーダーの人は、2年前に監獄で夢の意味を説明してもらったヨセフのことを思い出します(41:9~13)。このタイミングこそが「神様の時」でした。もし、この時でなかったら、ヨセフが2年前に、すぐに監獄から外に出られていたら、王様の所にすぐに連れて来られなかったかもしれません。
ヨセフは王様のもとに呼ばれて、夢を説明し、7年間は麦などがたくさん実り、食べ物が豊かになるが、次の7年間は麦も何も実らず食べ物がなくなってしまうと伝えました(41:14~32)。さらに、麦などがたくさん実る7年間にその一部をたくわえるように提案し、ヨセフはその知恵を認められ、王様の次に偉い人、今で言えば総理大臣とされたのでした。
17歳でお兄さんたちに売られ、奴隷となり、さらに刑務所で囚人となり、総理大臣とされたのが30歳の時。外国で、親も兄弟もいない、ひとりぼっちのつらい13年間、神様はヨセフと共にいてくださいました。神様はヨセフに対するご計画を進めておられたのです。
「奴隷や囚人になったけれど、最後は総理大臣になれたのだからよかった」ということではありません。寂しいときも、つらいときも、神様と人とに誠実に、正直に過ごせるように、神様が共におられ、その人に対するご計画を進めておられることがすばらしいのです。
Ⅲ.むすび
今の私たちに神様がもっておられるご計画、望んでおられることは何でしょうか?その一つは、イエス様を信じて救われることです(Ⅰテモテ2:4)。神様が送ってくださったイエス様が十字架で死なれ、3日目に復活されたのは、このためです。もう一つは、イエス様を信じて救われた人がきよめられ、聖なる者となることです(Ⅰテサロニケ4:3)。きよめられた人、聖なる者とは、心を尽くし、力を尽くして神様を愛し、隣り人を自分自身のように愛する人です。私たちがつらいときにも、神様は共におられて、神様のご計画に沿って過ごせるように、私たちを助け導いてくださいます。
(記:牧師 小暮智久)