2020年12月13日 礼拝説教「平和の王国への招き」

聖書: イザヤ書 9章6~7節

Ⅰ.はじめに

 先週の火曜日、12月8日と言えば何の日でしょうか?1941(昭和16)年12月8日、日本軍が米国ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった日です。その直前まで、戦争を避けようと努力した人々の甲斐もなく、それほど昔とは言えない79年前に、あの悲惨な戦争が始まった12月は「平和とは何だろう?」と考えを深める必要のある月ではないでしょうか。国と国、民族と民族という規模の大きな平和のみならず、自治会とか町の人々と自分との間の平和や、友だちと自分、家族と自分との間の平和について、この12月という月、しかも、クリスマスの季節に思いをめぐらしてみるのは意味があるのではないでしょうか。世界で最も読まれている本と言われる『聖書』に耳を傾けてみましょう。

Ⅱ.みことば

1.誕生の予告(イザヤ書 9章6節)

 ここにある人の誕生の予告があります。数百年も前に、その誕生が予告されるというのは特別なことですし、今の私たちも注目する必要のある特別なお方ではないでしょうか。

 それは、どんなお方でしょうか?「ひとりのみどりご」(6節)とあるように一人の赤ちゃんとして生まれるのです。また、そのお方は、誰か特定の人々やどこか特定の国のためではなく、私たちみなのため、私たちひとりひとりのために生まれるお方です(6節)。しかも、そのお方は「ひとりの男の子」(6節)で、「私たちに与えられる」(6節)とあるように、私たちのごく身近に、私たちの生活の中に、私たちの人生にプレゼントとして与えられるというのです。この男の子は成長し、すべてを支配する主権をもつと言われています(6節)。

 その誕生が予告されているお方の呼び名が、最初に申し上げた「平和」ということと関係があります。このお方は「不思議な助言者」(6節)と呼ばれ、この世界を造り私たちひとりひとりを生かしておられる神様というお方のご計画やおこころを私たちにお示しになります。また、「力ある神」(6節)と呼ばれ、罪と滅びから救い出し、人間関係のゆがみをいやす力をお持ちの神であられます。また、「永遠の父」(6節)と呼ばれ、子どもを父親が守り、支え、導くように、私たちを保護し、サポートし、ケアしてくださるお方です。そして、「平和の君」(6節)と呼ばれ、神様と私たちひとりひとりとの間に、私たちお互いの間に「平和」をもたらし、それを育み、養い育ててくださるお方なのです。

 ここで言われている「平和」とは何か?それは、単に争いがない状態ではありません。争いがないのは良いですが、争いがないのはお互いに無関心で親しい関係がないからかもしれません。大頭牧師が『アブラハムと神さまと星空と』という説教集の中で新婚夫婦の「味噌汁事件」というのを紹介しています(p.36-39)。夫は赤みそ、妻は白みそが好き、で味噌汁は白みそ味。夫は黙って少し残す。妻も気になるけど理由を聞かない。この時点で争いはなく表面的には平和かも。しかし、それが大きなすれ違いに発展していったのだそうです。夫は妻に感謝しつつ「自分がどうしてほしいのか」を率直に言えば、妻は夫にとがめる口調でなく「どうしていつも残すの?」と率直に聞けば、互いの関係は深まったのではないでしょうか。「平和」とは先ほど交読文で読んだように「互いに愛し合う関係」ではないでしょうか。「愛」の正反対は「憎しみ」ではなく、「無関心」だと言われます。ならば、「平和」とはお互いに関心を持って率直に関わり合うことではないでしょうか。その誕生が予告されているお方は「平和の君」、お互いに関心をもって率直に関わり合い愛し合う「平和」の関係を、神様と自分との間に、私たちお互いの間にもたらしてくださいます。

2.その方の国(イザヤ書 9章7節)

 ここで誕生が予告されているお方は、「主権」(7節)をもつ王様として来られます。このお方が「ダビデの王座に就いて」(7節)治める「その王国」(7節)の特徴は「その平和」(7節)です。ですから、このお方の国は「平和の王国」と言えるでしょう。それは「新約聖書」で「神の国」と呼ばれる国と同じではないでしょうか。そして、「平和の王国」とは、先ほども「平和」の意味を考えましたように、お互いに関心をもち率直に関わり合い愛し合う国ではないでしょうか。「神の国」の特徴もまた同じでしょう。神様はいつも完全な愛で私たちを愛してくださり、私たちも不十分ですが神様に関心を向け、神様と自分とが愛し合う関係を深めていく。そして、イエス様を信じる人にとっては、同じイエス様を信じる他の人々は「平和の王国」の同じ国民ですから、互いに関心をもち、話しかけ、祈り合い、お互いの関係を深めていく。このお方が「治め」、「堅く立て」、「支える」(7節)という「平和の王国」、「神の国」とは、神様と私たち、私たちお互いが愛し合う交わりなのです。

 たとえば、このお方による「平和の王国」は、先ほどの真珠湾攻撃の隊長であった淵田美津雄という人にも実現しました。79年前の12月8日、「われ奇襲に成功せり」と彼は報じて誇らしく帰りますが、4年後の8月15日、日本は敗戦を迎えます。彼は割り切れない憎しみを抱えながら郷里の奈良へ。さまざまなことののち、淵田さんはGHQから出頭を命じられ東京へ、渋谷で配布されていた「わたしは日本の捕虜でした」というリーフレットを手にします。それは真珠湾攻撃に反撃すべく、日本を初空襲した爆撃隊の一人、デシェーザーという人の手記。彼は爆撃後、中国に不時着、日本軍の捕虜となり虐待され日本人を憎むが、差し入れの『聖書』を読み、幼い頃から聞いていたイエス様を救い主と信じ、憎しみが愛に変えられ、戦後、日本に宣教師としてやってきたという。淵田さんは『聖書』を読み、「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23:34)と祈られた十字架上のイエス様に心を打たれ、イエス様を救い主として受け入れたのでした。その後、彼は神の愛を伝えるべくアメリカへ、「兄弟」と呼ばれ温かい歓迎を受けたそうです。国境を越え、戦争さえも超える「平和の王国」がここにあるのではないでしょうか。その20数年後、埼玉県の私の実家の隣にデシェーザー宣教師夫妻は住まわれることになり、「平和の王国」に私も招かれ、イエス様を信じ、1974年にデシェーザー師より洗礼を受けたのでした。このように平和の王国は広がり、「万軍の主の熱心」(7節)がそれを支え、成し遂げていかれるのです。

Ⅲ.むすび   

 今日共に聴いたこのお方の誕生の予告は、紀元前700年頃に語られたと言われています。この予告の約700年後、西アジアのベツレヘムという町でひとりの男の子が生まれます。そのお方こそ、イエス様。今から約2020年前の出来事です。イエス様はダビデの子孫として生まれ、「神の国」を人々に伝え、私たちのすべての「罪」、神様にも人にも無関心となり愛さない生き方である「罪」の身代わりとなり、十字架で死んでくださり、3日目に復活されました。イエス様を信じる人はこの「平和の王国」「神の国」の国民とされます。神様はあきらめずに招き続けておられます。そのままのあなたで、招きに応じ、人間が造られた本来のあり方である「平和の王国」の国民とされませんか。

(記:牧師 小暮智久)