2023年12月24日 クリスマス・キャンドルサービス説教 「クリスマスとは」

聖書: ルカの福音書 2章1~20節

Ⅰ.はじめに

 今日は「クリスマス・イブ」です。「クリスマス」とは、どんな日でしょうか。なぜ、ケーキを食べたり、パーティーをしたりして、お祝いするのでしょうか。それは、キリストと呼ばれる「救い主」であるイエス様がお生まれになった日だからです。この世界を造られた神様というお方が、長いご計画の中で、私たちひとりひとりのための約束を実現してくださった日です。それは、どんな出来事があった日なのでしょうか。

Ⅱ.みことば

1.救い主が生まれた日(ルカによる福音書 第2章1~7節)

 キリストと呼ばれるイエス様が生まれたのは、本当のことでしょうか?『聖書』にはそれがいつのことか、いくつかの目印が書かれています。たとえば、1~2節です。ローマの皇帝がアウグストゥスという人だった時、世界の人の人数を調べよという命令が出た時、シリアという地方ではキリニウスという人が責任者だった時というのが目印です。これは今からほぼ2023年前のアジアの西の地域、ユダヤという地方に関係があった本当にいた人々の名前で、人口調査も本当にあった出来事ですから、イエス様が生まれたというこの出来事も本当のことなのです。

 では、イエス様はどこで、どんなふうに、生れたのでしょうか?キリスト(救い主)と言われる人ですから、王様が住むような宮殿や立派なおうちとか、お医者さんや看護師さんがたくさんいて、最新の設備がある立派な病院でしょうか。6~7節を見ましょう。イエス様はお母さんのマリヤと夫ヨセフがふるさとへ帰って来た時、泊まるホテルの部屋がなく、ベッドもない所で生まれました。イエス様は冷たく、かたく、きれいでない所でお生まれになったのでした。このことは今の私たちとどんな関係があるのでしょうか。イエス様は神様の子であるのに、私たちひとりひとりに近づくために、ここまで低くなられたのです。

2.はじめに会った人々は?(ルカによる福音書  第2章8~12節)

 「キリスト(救い主)が生まれたよ」ということをはじめに聞いたのはだれでしょうか?総理大臣や王様、国会の議員や町のリーダーでしょうか。『聖書』のルカ2:8を見ましょう。それはユダヤの地方で夜、野原で羊たちを見守っていた「羊飼いたち」です。「キリストが生まれた」というニュースを世界で一番早く知らされたのは、今では名前もわからない羊飼いたちだったのです。彼らは当時の人々から低く見られていました。

 そんな羊飼いたちに知らされたのは、どんなことでしょうか?2:10~12を読みましょう。「きょう、あなたがたのために、救い主が生まれたよ。赤ちゃんの救い主は馬や牛が

 食べる干した草を入れる飼い葉おけに寝ているよ」という知らせでした。「あなたがた」ってだれのことでしょうか。それは「この民全体」でもありますが、羊飼いである自分たちのためです。キリストはどこに生まれたのでしょうか。王様の家や高級なホテルでなく、自分たちが今のよごれた服を着替えなくても、お風呂に入ってからだをきれいにしなくても、そのままで会えるような、「飼葉おけ」のあるような、それほどきれいではない、誰でも会えるような場所でお生まれになりました。キリスト(救い主)に世界ではじめて会ったのは、ユダヤの王様や総理大臣ではなく、お金も学歴も権力もなく有名でもない羊飼いたちでした。このことは、今の私たちとどんな関係があるのでしょうか。

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました」(11節)という「あなたがた」の中に、自分は入っていると思いますか?世界ではじめに救い主に会った羊飼いたちのように、お風呂に入らずによごれたままで、立派な服にきがえずにふだんのままで会えるように、この「あなたがた」の中には、だれでもみんな入っています。

Ⅲ.むすび

 このあとひとつのさんびかを歌います。1818年のクリスマスが近づいたころ、オーストリアの小さな村での出来事です。グルーバーという人がオルガンの前に座ってペダルを踏みましたが音が出ません。その人は教会のオルガニストで、調べてみるとオルガンが故障していて修理することもできません。困っているとそこへ牧師のヨセフ・モーア牧師がやってきました。「これはきのう、赤ちゃんが生まれた山小屋の家族を訪ねたあと、雪明りの中を下って来る時、あまりの静けさと清らかな美しさに感動して、クリスマスの夜の出来事を思い、書いた詩です。オルガンがダメでもギターで歌えるように、曲をつけてください」。それは次のような詩でした。「1.きよしこのよる 星はひかり すくいの御子は まぶねの中に ねむりたもう いとやすく  2.きよしこのよる みつげうけし まきびとたちは 御子のみまえに ぬかずきぬ かしこみて 3.きよしこのよる 御子の笑みに めぐみのみよの あしたのひかり かがやけり ほがらかに」。翌日、教会に集まった人たちは、ギターと共に歌うこのシンプルなさんびかに深く感動しました。このさんびかはやがて世界中にひろがっていきました。今年はこのさんびか「きよしこのよる」が作られてから205年です。すくいぬしはまぶね(飼い葉おけ)の中に眠られました。そのほほえみに、神様のゆたかな恵みが光としてかがやき、すべての人をてらしています。

 この救い主は、ふだんの私たちのそのままをだれよりも知ったうえで私たちのことが大好きで、やがて大人になられてから、私たちを神様から遠ざけてしまう自己中心という「罪」というものを、全部身代わりに背負って十字架で死んでくださいました。それほどに、私たちを大切に思い、友だちになりたいと招いておられます。このイエス様は罪のないお方として、私たちひとりひとりのために十字架で死なれ、3日目に復活されたので、私たちはイエス様を救い主と信じるだけで、神様によってすべての罪をゆるされ、罪と滅びから救われるのです。あの羊飼いたちのように、だれでも、そのままで、いつでも会えるように、イエス様はあなたのすぐそばで、あなたが心をひらくのをやさしく待っていてくださいます。イエス様を自分の救い主として今日、迎えましょう。今週も、この救い主イエス様といっしょに過ごしましょう。

(記:牧師 小暮智久)