2026年2月8日 礼拝説教 「主はつかわす」

聖書: ルカの福音書  10章1~16節

Ⅰ.はじめに

 先週、近所の高校生に「キリスト教のイベントはありませんか?」と聞かれました。以前、クリスマスのキャンドルサービスなどに来たことのある人です。また参加したいということだったのだと思います。私はその時、教会の存在自体に意味があり、教会はイエス様によってこの場所に置かれ、つかわされているのだなあと実感しました。また、周囲に関心を持っている人々があるんだなあとも感じました。

 この教会の礼拝では2017年5月より「ルカの福音書」から少しずつ続いてお聴きしております。前回、11月に9章の終わりまでお聴きしましたので、今日はその続き、イエス様が人々をつかわす場面をともに聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.イエス様による派遣(ルカの福音書  10章1~4節)

 1節をお読みします。イエス様は人をつかわします。それも一人ずつではなく、二人ずつです。私たちは家庭や職場、地域などにたった一人で派遣されているように思いますが、場所は異なっても、同じイエス様によって遣わされている教会の仲間がいることを覚えましょう。2節をお読みします。私たちも、さらにイエス様が送ってくださる働き人が加えられるように祈りましょう。つかわされる私たちには困難や危険もあり得ます(3節)。しかし、持ち物は少なくても必要は満たされるのです(4節)。「道でだれにもあいさつするな」とは、理解しにくいですが、当時の特別な意図があったのでないでしょうか。

 今の私たちも、礼拝の最後の祝祷と後奏をもって、一人ずつではなく、同じ教会の人々も仲間として同じように、それぞれの場に、イエス様がつかわしてくださるのです。 

2.託されたメッセージ(ルカの福音書  10章5~9節)

 イエス様が人をつかわすのは、何のためでしょうか?それは、知らせ、ニュース、メッセージを人々に伝えるためです。どんな知らせでしょうか?9節をお読みします。それは、「神の国があなたがたの近くに来ている」という知らせ、メッセージです。そのために受け入れてくれる家にとどまり、もてなしを受けるようにと言われています(5~8節)。

 「神の国」とは、神様が愛をもって支配する場所のことで、「支配」と言っても独裁的、強制的な圧力ではなく、神様が私たちとともにいてくださり私たちも神様とともにいることを自由に喜ぶ関係、神様が愛をもって包んでくださるというようなイメージの場所です。この「神の国」があなたがたの近くに接近しているという知らせを人々に伝えるのです。この「神の国」はイエス様の十字架と復活によって、イエス様を信じるすべての人の中に、すでに来ており、始まっています。「神の国」はやがて、キリストの再臨ののち新しい天と地として完成します。この「神の国」の喜びの知らせを、私たちも人々に伝えましょう。心配しなくても、語るべきことは、その時与えられます(マルコ13:11)。

3.人々が拒絶するとき(ルカの福音書  10章10~16節)

 すべての人が「神の国」の知らせ、「神の国の福音」を受け入れるとは限りません。10節をお読みします。人々が、「神の国の福音」を拒絶するとき、私たちは委縮したり、縮こまったりする必要はありません。11節をお読みします。この知らせを伝えたことで、イエス様から託された責任を果たしたのですから、堂々としていればよいのです。この知らせを受け入れない町に対する神様のさばきは、旧約聖書にある罪深い町ソドム(創世記18~19章)に対するさばきよりも重く、深刻だとイエス様は言われました(12~15節)。

 16節をお読みします。「神の国の福音」に耳を傾ける人はイエス様に耳を傾けたのであり、拒んだ人は私たちを拒んだのではなくイエス様を拒んだことになるのです。

Ⅲ.むすび

 イエス様は、わたしたちを普段の生活の場につかわしておられます。たった一人で派遣されるのではありません。場所は異なっても、同じ教会や同じ教団などの人々も同じように仲間として遣わされているのです。ふだん過ごしている場で出会う人々に、「神の国の福音」を、その中心におられる救い主イエス様をお伝えしましょう。

(記:牧師 小暮智久)