2025年9月7日 礼拝説教 「イエス様の祈り」

聖書: ルカの福音書 22章31~34節

Ⅰ.はじめに

 4月5日から7月3日までの入院期間中も、そして、今も私のためにお祈りくださって、感謝しています。入院中にいくつかのみことばを与えられましたが、先ほどお読みいただいたのは、そのうちのひとつです。特に32節です。これはイエス様のことばです。「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」  今から約2000年前、イエス様と弟子たちは、「過ぎ越しの食事」という夕食を共にし、その席上でイエス様が「聖餐」と後に呼ばれることを行なうように、と命じられました。イエス様は「聖餐」を定められたあと、「裏切る者」について予告されました(21節)。「裏切る」というのは「信頼」の関係とは正反対でしょう。今の自分のイエス様に対する「信頼」の関係はどのようなものか、みことばから思い巡らしましょう。

Ⅱ.みことば

1.あなたの信仰(ルカの福音書 22章32節)

 この「最後の晩餐」と言われる夕食の最後の方で、イエス様は弟子のシモン・ペテロに個人的に話しかけました(31~34節)。その中でペテロに「あなたの信仰」(32節)と言われました。この「信仰」とはイエス様に対する信仰でしょう。イエス様に信頼する心や態度と言ってもよいかもしれません。「あなたの信仰」とはペテロの信仰です。人それぞれに「あなたの信仰」と呼べるような信仰の個性や特徴があるのではないでしょうか。ペテロの信仰にはペテロらしさがあり、そこには、彼のこれまでの親子関係や兄弟関係、身近な人間関係の中で経験してきた「他人に対する信頼感」というようなものも反映すると思います。

 イエス様は今日、私たちにも「あなたの信仰」と言ってくださいます。その中核は、「イエス様を救い主と信じる信仰」だと思いますが、その表現や日常の態度や行動への現われかたには、あなたらしさがあるはずです。たとえば、とても行動的で活動的なタイプの信仰の人もあれば、静かで深く考えるタイプの信仰の人もいるのです。また、時期や年齢、健康状態によっても「あなたの信仰」には変化があるでしょう。今日の自分の「信仰」はどうでしょうか?イエス様がペテロの信仰の状態を、彼自身よりも知っておられ、気にかけておられたように、イエス様は今の私たちの信仰の状態を、自分よりも知っておられ、気にかけてくださっています。

2.信仰がなくならないように(ルカの福音書 22章32節)

 イエス様はペテロに「あなたの信仰がなくならないように祈りました」(32節)と言われました。イエス様は、私たちの様々な困難の中でも「信仰がなくならないように」と、ご自身に対する信頼を保てるようにと根本的な必要のために祈られる。状況の変化や解決とともに、ご自分との関係の深まりを祈られる。イエス様に対する信頼が深くなるようにと祈られる。

 信仰がなくなるとはどういうことか。イエス様に対する信頼がなくなるとすれば、何が原因でしょうか。イエス様が私たちを裏切るということはあり得ません。自分の中の何かが原因ではないでしょうか。たとえば、信仰は、自分が学んで獲得した知識や資格というようなものではありません。信仰は、神様から恵みによって与えられたものです。私たちが「イエス様は主です」と「信仰」をもてるのは聖霊の働きによるのです(Iコリント12:3)。このときのペテロと同じように、「自分の信仰は、自分の力で維持できる」と考える時などは、信仰がなくなる危険な状態ではないでしょうか。

3.あなたのための祈り(ルカの福音書 22章32節)

 「わたしはあなたのために・・・祈りました」(32節)ということばに、私は深い慰めをいただいています。今日もイエス様をキリスト(救い主)と信じる「信仰」を与えられているのは、イエス様が祈ってくださっているからです。この「信仰」は自分の力で保てるのではなく、イエス様の祈りによって保たれているのです。しかも、自分の「信仰」は自分のことだけでなく、自分と関わりのある身近な人々、とりわけ、同じ教会の人々とも関係があるのです。ペテロは「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)と言われました。「立ち直る」というのは「挫折」を前提としています。ペテロはこのあと挫折する。しかし、イエス様の祈りに支えられ、信仰はなくならず、立ち直る。その挫折を通ったペテロの信仰が、同じ教会の兄弟姉妹をどんなに力づけたことでしょうか。  私たちも時に挫折します。しかし、そこを通った信仰は、同じ教会の人々を力づけ、身近な人々にさらにあざやかにイエス様を指し示すために用いられるのではないでしょうか。

Ⅲ.むすび

 「わたしはあなたのために、・・・祈りました」(32節)というペテロへの語りかけの前に、イエス様は「聖餐を行なうように」と語られました(19~20節)。ペテロは「聖餐」を受けるたびに、イエス様に祈られていることを思い出したのではないでしょうか。ユダヤと日本と場所の隔たり、2000年という時の隔たりを超えて、イエス様は今も「あなたの信仰がなくならないように祈りました」と、私たちひとりひとりのために祈っていてくださいます。このイエス様を見上げましょう。私たちひとりひとりのために十字架で死んでくださり、3日目に復活されたイエス様を見上げましょう。このイエス様に対する信仰を養われ、深められ、人々にイエス様を指し示す者とされましょう。

(記:牧師 小暮智久)