2025年8月3日 礼拝説教 「父のもとへ帰ろう」

聖書: ルカの福音書15:11〜31

Ⅰ.はじめに

 8月に入りました。まだしばらくこの暑い日が続くようで、本当にエアコンの部屋から出られない、この夏の電気代はどうなるだろうか、と心配になる毎日です。高齢の方で、暑い間はしばらく礼拝をお休みします、という連絡をいただいている方もあります。礼拝に来られたらいいなとは思いますけれども特に帰りの時間はかなり気温の高い時間帯になりますので、どうぞ皆さまご無理なく、くれぐれもお気をつけて、何とかこの夏を無事に元気に乗り切りたいと思います。

Ⅱ.みことば

 さて、今朝はルカの福音書15章、大変有名な「放蕩息子のたとえ」と言われる箇所を開いています。イエスさまはいろいろな機会にたとえ話をされました。この15章には3つのたとえが語られています。1つ目は4節から「100匹の羊を持っている人がいなくなった1匹を見つけるまで99匹を野に残しておいて探す」という話、2つ目は当時の女性が結婚の際に大切な花嫁道具であった「10枚1セットの銀貨」のうちの1枚がなくなり、これも見つかるまで必死で探す、という話です。どちらも99匹いるんだから1匹いなくなってもいいや、ではなく、9枚あればいいでしょ、ではなく見つかるまで諦めないで探し、見つかったら近所の人や友達を呼び集めて一緒に喜ぶ、というのです。そして3つ目が放蕩息子のたとえ話です。今日は15章の11-31のこの放蕩息子のところだけお読みしましたが、なぜイエスさまがこのようなたとえ話をなさったか、ということは15章1、2節に書かれています。「さて、取税人や罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。するとパリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。」

 当時の常識からすれば、そのような人たちとは一切関わりを持たない、付き合わない、ましてや一緒に食事をするなんてとんでもない、ということだったのだろうと思います。この箇所を見ると、イエスさまの方から乗り込んでいって「君たちは正しくない、いますぐその生活をやめなさい!」というようなことをなさったのではなく、その罪人と言われている人たちの方からイエスさまのところに、話を聞こうとしてやって来た、イエスさまはそれを受け入れた、ということのようですね。パリサイ人や律法学者はある意味で当時のエリート、イエスさまのその姿を批判する彼らに対してイエスさまが答える形で、このたとえ話をされたわけです。

 たとえ話というのは、誰の立場でこの話をみるか、考えるかによって、見えてくるものが違うように思います。3つ目のたとえ話の登場人物は主に3人います。お父さんと、兄息子と弟息子です。ある時弟の方がとんでもないことを言い出します。遺産相続、財産分与というのは、普通は亡くなってからなされるものですが、「私がいただく分をください」と言うのです。早く死んでください、と言っているも同然。この父親はそう言われて怒ってもいいと思うんですが、2人の息子に、弟にだけではなく兄にも、自分の財産を分けてやりました。そして弟息子は父から受け取ったものを持って、何日もたたないうちに全てのものをまとめて(現金化して)、自分のものを全部持って、遠い国に旅立って行きました。親の目の届かないところで、お父さんとは関係なく、自分の好きなように生きていきたい、ということだったのでしょう。開放感に満ちて、そのお金がある間はよかったのですが、「放蕩して、財産を湯水のように使ってしまい、何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた」と13,14節にあります。いよいよ困って、ある人のところに身を寄せて豚の世話をするようになりましたが、奴隷同然、豚の餌でもいいから食べたいと思うほどの空腹だったけれどそれさえも許されませんでした。「誰も彼に与えてくれなかった」と16節にありますが、大金を手に故郷を出て来たけれど、すっかり落ちぶれて家畜以下の扱い、誰からも相手にされない孤独、いつ死ぬかわからない恐怖、人間としてこれ以上の底はないというほどのどん底の経験をしたのでしょう。けれども彼はそこで「我に返った」のです。我に返るとはどういうことでしょう。

 自分がお父さんの息子であることを思い出したのです。自分の方から縁を切ったのですから、今更お父さんのところに何もなかったような顔をして帰るわけにはいかないことはわかっていました。けれども、お父さんはかなり裕福な人であったようですから、雇い人でさえ今の自分よりは遥かに余裕のある生活をしている。ここで飢え死にするくらいなら、お父さんのところへ帰って、息子としてではなく、雇い人としておいてもらおう、と思い至ったのです。17-19節にはこのように書かれています。
 「しかし、彼は我に返って言った。父のところには、パンのありあまっている雇い人がなんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の1人にしてください』」
 自分が間違っていたことに気がつき、お父さんの元に帰ろう、そう決めたのです。
 そして立ち上がって自分の父の元へ向かいました。まともに食事もしていない状態で、かなりの距離もあっただろうと思いますが、途中お父さんに会ったらこう言おうという言葉を頭の中で繰り返し噛み締めながら、ボロボロの痩せこけた姿でふらつきながらやっとのことで帰って来たのです。

 お父さんはどうしたでしょうか。普通の親であれば(それ以前に普通の親は財産を生きてる間に分けてやることはしないかもしれませんが)そんな自分勝手な息子を殴りつけるか、今更どういうつもりだと怒鳴りつけるか、したかもしれません。けれどもこのお父さんは違いました。20節、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首をだき、口づけした」この「かわいそうに思う」と訳されている言葉は、「はらわたがちぎれるような思い」とあわれみを意味する言葉の中で一番強い表現が使われているそうです。また当時、この年齢の高貴な人物は走ることはなかったそうですが、この父親は、まだ遠くにいる息子を見て、思わず駆け寄ったのです。先の2つのたとえで、羊飼いがいなくなった1匹を見つけるまで探す、また女性がなくなった銀貨を見つけるまで探す、そのように、何年くらいの期間があったのかわかりませんが、息子を探すようにして毎日外に出て、遠くを眺め、息子の帰りを待ち侘びていた。息子が父親のことなど思い出しもせずに遊び呆けていた時にも、父親は1日としてこの息子のことを思わない日はなかった、だから、まだ家から遠いのに彼を見つけた父親は走って駆け寄って息子を抱きしめずにはいられなかったのです。

 息子は練習していた通り、お父さんに言おうと思っていた言葉を言い始めます。21節にありますが、「お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪あるものです。もう息子と呼ばれる資格はありません」この後彼はだから雇い人の1人にしてくださいと言うつもりでしたが、お父さんはその言葉を遮るように、最後まで言わせないで、ありえない形で彼を迎え入れたのです。22節で父親はしもべたちに、急いで1番良い衣を持ってきて彼に着せ、指輪をはめて、靴を履かせるように言いました。彼は靴も履かずに遠い国から帰ってきた、奴隷は履物をはくことはなかったそうですから、彼を雇い人や奴隷どころか息子以上の大切な存在として受け入れたのです。その上、パーティまで開きました。いなくなっていた羊や銀貨を見つけたら近所の人を呼んで一緒に喜んだように、特別なごちそうを皆で食べ、喜びを分かち合うパーティです。お父さんの言い分はこうです。24節「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」

 このお父さんにはもう1人息子がいました。この騒ぎを聞きつけた兄は面白くありません。彼はこのお祝いに加わろうとせず、怒って家に入ろうともしませんでした。当然と言えば当然かもしれませんが、それで父親が出てきて彼をなだめました。兄の言い分はこうです。「長年の間私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には友達と楽しめと言ってこやぎ1匹下さったこともありません。それなのに、遊女に溺れてあなたの身代を食い潰して帰ってきたこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか」父に文句を言いました。しかし父は兄息子に、「子よ。おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか」これはたとえ話です。ここで終わっていますので、この後兄息子が祝宴の席についたのかどうか、兄弟の和解があったのかどうかはわかりません。ただ言えることは、父はどちらも息子として扱っていたこと、財産は2人に分けたのであり、当時は長男の方が多く受け取ることになっていましたから、兄が何か損をしたことはなかったはずです。
 弟は物理的に父親から離れて行きましたが、我に返って父のもとに帰って来ました。
 兄は、物理的な距離は近かった、いつも父の元にいて全て持っていましたが、心はお父さんから離れていました。実は2人ともお父さんとの関係は壊れていたのです。
 この兄がこの後どうしたのかと言うことは書かれていません。このたとえ話をする発端となったパリサイ人や律法学者たちがまさにこの兄の姿であり、それをイエスさまはあなたはどうするのだと問いかけられたのです。父の心がどこにあるのかわかりますか、と。

 このたとえ話の父親は神さまのことです。自分と関係なく遠く離れて自分がいいと思うように勝手気ままに生きようとした弟も、一緒にいるようで父の心がわからず不平不満、文句を言う兄も、どちらも失われて欲しくはなかったのです。

Ⅲ.むすび

 神さまは、ご自身のかたちに人を創造されました。私たちは「神のかたち」に造られています。父なる神さまに愛され、その神さまを愛する者として私たちはいのちを与えられました。けれども人はその神さまから離れてしまった。神なしに、神さまとは関係なしに自分がいいと思うように生きようとする、その神さまとの関係が壊れている状態を聖書では罪と言うのです。
 父なる神さまは帰ってくるのを待っておられます。保護観察期間を経て、心を入れ替えたのを確認してから放蕩していた弟息子を受け入れたのではありませんでした。ボロボロの姿で、そのまま受け入れたのです。事情聴取もしませんでした。お金を何にどう使ったのかも聞きませんでした。ただとにかく自分のところに帰って来たことのゆえに、彼を受け入れたのです。

 神さまは人に自由意志を与えられました。ロボットのように機械的に従うようにプログラミングされたわけではなく、父のもとを離れる自由もありましたし、父のもとには戻らない選択をする自由もありました。けれども、ここで大切なのは、彼がお酒、ギャンブル、遊女等、いかに不道徳なことをしてお金を使い果たしたか、と言う彼の行動よりも、父との関係が壊れていたこと、そしてそれに気がついて、父のもとに帰って来たと言うことです。愛の神は人が悔い改めてご自分のところに帰ってくるのを忍耐強く待っておられるのです。

 クリスチャンになると、何か堅苦しい、窮屈、自由がない、親に干渉されて生きるようなものだと思われるかもしれません。けれども信仰を持つ、クリスチャンとして神を信じて生きるとは、父なる神さまとの繋がり、関係の中で生きることなのです。あれをしてはいけない、これをしてはいけない、日曜日は礼拝に行かなければならない、これをしなければならない、これをしてはいけないと考えたら窮屈に思うかもしれません。でも、完璧な人はいないしいつも父なる神さまのみこころにかなう歩みができるとは限らない。失敗したり、神さまを悲しませることもあるかもしれないし、こちらが、神さま信じてたっていいことなんか何もないじゃないか、と言うような気持ちになることもあるかもしれない。
 でも、覚えておいてほしいのです。あなたは神さまによって神さまのかたちに造られた、愛されている神さまの子どもなのです。ヨハネの福音書1:12(p175)「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」と書かれています。好き勝手に生きて神から離れていた私たちを待ち続けていた神さまは、私たちが神さまのもとへ行けば受け入れてくださる、奴隷や雇い人としてではなく、子として、家族として。そのためにイエスさまがこの地上に来てくださった。イエスさまを救い主と信じることによって、イエスさまを通して、私たちは父なる神さまとの関係を回復し、永遠のいのち、神さまとつながっていることのできるいのちをいただくことができるのです。

 私たちの日常にも、思いがけずいろんなことが起こります。けれども私たちにはイエスさまのいのちが分け与えられています。ボロボロの姿でお父さんのところに帰って来たとしても、神さまが意図して私たちをお作りくださった、その最高の姿の私たちを見てくださるのです。もし、何かの理由で自分が父なる神さまのところから離れていると思ったら、帰りましょう。神さまは受け入れてくださいます。神さまが私たちに用意していてくださるすばらしい御計画、愛に信頼して、生かされ、イエスさまと共に今週も歩ませていただきましょう。

(記:信徒伝道者 小暮敬子)