2025年1月5日 礼拝説教 「礼拝という生き方」

聖書: マタイの福音書 2章1~12節

Ⅰ.はじめに

 新しい年をどんな気持ちでお迎えになられたでしょうか?日本では12月25日が過ぎると街はお正月の装い、クリスマスはすっかり終わった感じです。しかし、約2000年の歴史を重ねてきたキリスト教会では、クリスマスは1月6日の「公現日(こうげんび)」(今年のカレンダーでは明日)までという暦が5世紀頃から広がっていきました。「公現日」とは、東からの博士たちがキリストに会ったことを記念する日です。キリストが地元のユダヤ人以外の異邦人におおやけに現わされた日という意味で「公現日」と呼ばれるようです。

 彼らはなぜ遠い東からキリストに会いに来たのでしょうか?キリスト誕生の予告がある「旧約聖書」を知っていた地元の人々は、実際にキリストが誕生した時、どんな様子だったのでしょうか?今の私たちにどんな関わりがあるのか、『聖書』に心を向けましょう。

Ⅱ.みことば

1.私たちの不安(マタイの福音書 2章1~6節)

 キリストのご降誕を最初に知らされたのは、『聖書』によればベツレヘムの町の羊飼いたちです(ルカ2章)。その後、地元ユダヤの人々でキリストの誕生を知ったのは、生後8日目にエルサレムの神殿でイエス様に会った人々以外、あまりいなかったようです。約2年が過ぎても都エルサレムのヘロデという王様や住民は、キリストの誕生を知りませんでした。イエス様はヨセフとマリアが旅先で滞在したベツレヘムで生まれました。その後は、家のあるナザレという町に帰って再びベツレヘムに戻って来たのか、あるいは、誕生直後の飼い葉桶から家に移って生後2年間はずっとベツレヘムにいたのか、わかりませんが、待っていたはずのキリストの誕生が、都の人々に2年近くも知られなかったのは意外です。

 ヘロデ王がキリスト誕生を知るのは、東から来た博士たちのエルサレム到着によってでした(2:1-2)。イエス様の誕生から約2年が過ぎていました。このヘロデという人はユダヤ人ではなくエドム人、「旧約聖書」の「創世記」に出て来るヤコブの兄エサウの子孫です。彼はローマ皇帝にユダヤ地方の王に任命され、その地位を守ろうと必死でした。このユダヤ地方の王に、東から来た人々が「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか」(2:2)と臆面もなく言ってのけた時、ヘロデは何を感じたか?それは自分の立場や権力がなくなるという不安でしょう(2:3)。ヘロデは祭司長たちと律法学者たちを集め(2:4)、キリスト誕生に関する公式声明(2:5-6)を得た上で手を打とうとします。

 今の私たちが不安を感じるのはどんな時でしょうか?今の自分の生活や健康、立場や人からの評価や尊敬を失いそうになる時でしょうか。生活や健康や立場の安定は良いことです。しかし、それにこだわり過ぎると、自分の人生を自分の王国と考えがちになります。ヘロデのように、自分の王国の王座を奪うものに不安を感じるようになります。「あなた自身のうちにヘロデを認めるまでは、ヘロデのことをあざけってはいけない」(D.R.A.ヘア,塚本 惠訳,『現代聖書注解 マタイによる福音書』,p.46)とは鋭い指摘ではないでしょうか。

2.私たちの喜び(マタイの福音書 2章7~12節)

 一方の東からの博士たちには、ワクワクするような楽しみや希望があったようです。そうでなければ、長い旅を続けられなかったでしょう。彼らをそんな旅へと駆り立てたのは、2年前に故郷の空で見た星。それをユダヤ人の王の誕生を示す星だと思ったのは、なぜか?また、外国人の彼らがユダヤ人の王の誕生に関心をもっていたのは、なぜか?はっきりしたことはわかりません。一つの推測は、ユダヤ人が紀元前6世紀にバビロニア(今のイラクあたり)に捕囚として捕らえ移された時、その地の人々に「旧約聖書」のキリスト誕生の預言が伝えられ、キリストへの関心がこの東の博士たちにも受け継がれたという可能性です。

 2年近くもキリストに会いたいと求道の旅を続けた彼ら。苦労や困難はあったでしょうが、楽しく、希望に満ちた求道の生活だったのではないでしょうか。そして、旅立った時に東の故郷で見た星が、「彼らの先に立って進み」(2:9)、この求道者たちをキリストに導きます。この福音書は少しあとで「求めなさい。そうすれば与えられます」(7:7)とのイエス様の言葉を記していますが、この東からの人々はその実例と言えるのではないでしょうか。神様は、すべての人をご自分へと招いておられ、求める人を見守り、先だって導いてくださいます。そして、神様に導かれる生活は、きゅうくつで束縛されたものでなく、東からの人々が自発的に旅立ち、ついにキリストに導かれたように、楽しく、喜びにあふれています。「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」(2:10)とある通りです。

 彼らの喜びがあふれた時、どんな態度にあらわれたか?2:11を見ましょう。それは、礼拝です。また、大切なものをささげることです。彼らは「母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した」(2:11)。彼らは都で王に会った時、ヘロデにはこの最高の敬意を払いませんでした。彼らはユダヤ人以外の異邦人としては最初に、キリストを礼拝したのです。ピリピ2:6~11を読みましょう。キリストは神と等しくあることを捨てて人となられ、私たちの罪を背負い十字架で死なれ、復活され、高く引き上げられました。このキリストを礼拝した東からの博士は「すべての舌が、『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰する」(ピリピ2:11)と言われる日の先駆けとも言えます。

 彼らは故郷から携えてきた大切なものをキリストにささげました(2:11)。どうでもよい物ではありません。彼らがささげ得る最も大切なものをささげたのです。これらのことは、今の私たちにとっては、「礼拝」と、その中での「奉献」が意味することと重なります。博士たちは彼ら自身をキリストにささげました。それがキリストへの「礼拝」であり、「奉献」でした。神様から授かったものを、喜びをもって、神様にお返しする。それが、神様に対する私たちの愛をあらわすことです。私たちの最も大切なお方に、私たちの最も大切なものをささげる。それが「礼拝」であり、「奉献」であり、「献身」です。自分の時間も、お金も、受けた教育も、天性の能力も、強さも、そして、弱さも。神様から自分が授かった弱さや欠けと見える部分も含めて、それら自分の大切なものを、喜びと感謝をもって神様にお返しする。それが喜びの「礼拝」であり、「奉献」と呼ばれる献金、献身の恵みです。

Ⅲ.むすび

 ヘロデのように、自分の人生を自分が支配する自分の王国とする生き方は、自由なように見えて、奪われ失うことへの不安に満ちているのではないでしょうか。エルサレムに住む人々の先駆けとなった博士たちのように、自分に授かった人生の大切な時間をささげ、プライドを捨ててキリストを礼拝し、大切なものをささげる生き方は、一見無駄で愚かに見えますが、自由と喜びにあふれています。今週、どちらを選びますか。

(記:牧師 小暮智久)