2024年3月31日 礼拝説教 「復活されたイエス様」
聖書: マタイの福音書 27章62節~28章10節
Ⅰ.はじめに
今日は「イースター」という日です。このごろは、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)などのテーマパークや、スーパーマーケットなどのお店でも「イースター」という名前のついたイベントやコーナーが増えてきました。「イースター」の本家本元はキリスト教会なのに、「教会でもイースターをお祝いするのですか?」と言われるほどに「イースター」が広まるかもしれません。クリスマスと比べて「イースター」がなかなか日本で広まらなかった理由の一つは、クリスマスが12月25日と毎年決まっているのに、「イースター」は3月から4月の間で毎年、日が変わるからではないかとも言われているようです。「イースター」の日付は「春分の日の直後の満月の直後の日曜日」という決め方になっています。今年の「春分の日」は3月20日(水)、その直後の満月は25日(月)でしたので、その直後の日曜日、今日が「イースター」ということになります。
「イースター」とは、どんな日でしょうか?それは、今から約2000年前、西アジアのエルサレムで十字架につけられて私たちすべての人のために死なれたイエス様が、3日目の日曜日に死から復活された日です。死んだ人が復活したなんて、ほんとうでしょうか?それは、どのように起こったのでしょうか?神様のことばである『聖書』に聴きましょう。
Ⅱ.みことば
1.復活の約束を覚えていた人々(マタイの福音書 27章62~66節)
イエス様はご自分の弟子たちに、「わたしは十字架で死刑にされるが、3日目によみがえる」とあらかじめお話ししていました(マタイ20:18,19など)。イエス様はそのことばの通り、十字架で死刑になりましたが、その時、弟子たちのほとんどはこわくなって逃げてしまいました。弟子たちは、イエス様が3日目に復活すると言われた約束を、ほとんど忘れてしまったか、信じていなかったのではないでしょうか。
一方で、イエス様が3日目によみがえると言っていたのを覚えていた人々がいます。それは、イエス様を殺す計画を立て、多くの人々をその方向に導いた「祭司長たちとパリサイ人たち」(62節)というユダヤのリーダーたちです。イエス様について来たはずの弟子ではなく、イエス様を十字架につけた敵側の人々が復活の約束を思い出すというのは、興味深いのではないでしょうか。
62~64節をお読みします。「明くる日」というのは、金曜日の翌日、当時は安息日で働いてはいけない日だったのに、わざわざ祭司長たちは総督の所に行き、イエス様の墓の番をしてもらえるようにお願いしたのでした。総督ピラトはどうしたか?65~66節をお読みします。番兵を出すことに加えて、お墓に「封印」までしてくれたのでした。当時のお墓はほら穴のような横穴で入口に石をころがしてありました。「封印」とはその石を誰かが動かしたらわかるようにしるしをつけ、誰でもお墓をあけたら犯罪になるというしるしです。ユダヤのリーダーたちは、もうこれでだいじょうぶと思ったのではないでしょうか。
2.日曜日に起きたこと(マタイの福音書 28章1~10節)
「週の初めの日」(1節)というのは、今の日曜日です。その日、何が起きたのでしょうか?何人かの女の人がイエス様のお墓を見に行きます(1節)。当時の習慣で、お墓の中のイエス様のおからだによいにおいのする油をぬりに行くためでした(マルコ16:1)。すると大きな地震が起こりました。主の使い(天使)が天から降りてきて、お墓の入り口の大きな石をころがしたからです(2節)。お墓の番をしていた兵士たちはふるえあがり、死んだ人のようになってしまいました(4節)。そこにいた女の人たちもこわかったと思います。彼女たちに天使が伝えたことは何だったでしょうか?5~7節をお読みします。十字架につけられて死なれたイエス様は「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられた」(6節)というのです。なんと、イエス様は復活された!これが、その日曜日に起きたことです。彼女たちは、このことを急いで弟子たちに伝えなさいと言われたのでした。
彼女たちはどうしたか?もし、あなたがそこにいたらどうしますか?彼女たちはこわかったけれども、とっても喜んで、走り始めます。どこへ?弟子たちに知らせに、です(8節)。すると、走っている彼女たちに、ひとりの人が声をかけます。だれでしょうか?9節をお読みします。なんと、イエス様ご自身でした。彼女たちはどんな気持ちだったでしょうか?おとといの金曜日に十字架で死んだはずの人が、いま目の前におられる!信じられないようなことが、ほんとうに起きたんだ!彼女たちはとってもうれしかったに違いありません。お墓がからになったこと、イエス様が現われたこと、この2つが復活の大きな証拠です。
イエス様は彼女たちに何を言われたでしょうか?10節をお読みします。今回私は、この時の「わたしの兄弟たち」ということばが心に響いています。自分たちもつかまるのではないかとこわくなってイエス様を見捨てて逃げた弟子たちを、イエス様は自分の家族、わたしの兄弟たちと呼ばれたのです。イエス様は今の私たちにも、「あなたがどんな状態であっても、自分はもうダメだと思っていても、イエス様に顔向けできないと感じていても、あなたはわたしの兄弟だ。あなたは、わたしに会えるのだ」と言ってくださいます。
その日曜日に、もうひとつのことが起きていました。あの墓の番をしていて、死人のようになった番兵たちのことです。彼らはどうなったのでしょうか?11~15節をお読みします。「自分たちが眠っている間に、弟子たちがイエスの遺体を盗んで行った」といううそが、この「マタイの福音書」が書かれたころにユダヤ人の間に広まり、このうわさは2世紀半ばにもまだ人々の間に残っていたそうです。しかし、うそにはおかしな所があります。眠っている間に盗んで行ったのが弟子たちだとどうしてわかるのでしょうか。それに、もし、これが本当なら弟子たちの所に行って「イエスの遺体を出せ」と言えばよかったのに、どうしてそうしなかったのでしょうか。それができなかったのは、イエス様の復活が本当だったからです。うそのうわささえも、復活の証拠になったと言えるのではないでしょうか。
Ⅲ.むすび
「イースター」とは、イエス様が死から復活されたことをお祝いする日です。イエス様の復活と、今の私たちとは、どんな関係があるのでしょうか?ローマ人への手紙10章9節をいっしょに読んでみましょう。「あなた」とは、今の私たちひとりひとりも含まれます。あなたが今、イエス様を自分の主(生活の中心)だと言い表わし、神様はイエス様を死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは今、罪と滅びから救われ、天国に行ける永遠のいのちを与えられるのです。今、イエス様を信じましょう。すでにイエス様を信じている人は、イエス様の復活を喜び、感謝し、先に天国に召された人とまた会える日を楽しみにして、今週もイエス様を生活の中心として歩みましょう。
(記:牧師 小暮智久)