2021年2月21日 礼拝説教「祝福の源」

聖書: 創世記  47章13~26節

Ⅰ.はじめに

 先週はどのような1週間をお過ごしになりましたか?日本でも新型コロナウイルスに対するワクチンの接種が、まず医療従事者の方々から始まりました。メリットとリスクをめぐって様々な情報がある中で、大きな動きの始まりであることは確かでしょう。今後も情報や状況を注意深く見つつ、困難な中を主に導かれて歩みたいと願います。

 先週の水曜日、2月17日から全世界のキリスト教会は、レント(受難節)という特別な期間に入りました。レントはイースターまでの日曜日を除く40日間、今年は4月3日(土)まで、十字架に向かわれたイエス様を思いめぐらして過ごす期間です。古代の教会では洗礼式は年に一度だけ、イースターの日に行なわれたそうで、このレントの期間は洗礼の準備のときだったそうです。今の私たちにとってイエス様と共に苦しむとはどんなことなのかを考える時としても大切に過ごしたいです。イエス様が受けてくださった苦難が、私たちのための祝福の源となったことは実に不思議であり、大きな恵みではないでしょうか。

 先ほどは2004年から礼拝で少しずつお聴きしている「創世記」の前回1月31日に共にお聴きした所の続きが朗読されました。アブラハム、イサク、ヤコブという神様の民の先祖たち人生を取り上げる「創世記」の終わりの場面にさしかかり、ヤコブの子ヨセフが受けた苦難がヤコブ一家のみならず、エジプトにとっても祝福となっていくのも実に不思議です。世界的な大飢饉という非常事態に、ヨセフはどんな役割を果たしたのでしょうか?

Ⅱ.みことば

1.銀が尽きたとき(創世記 47章13~17節)

 7年間の大豊作のあと、大飢饉が全地を襲いました。紀元前1875年前後のことです。その飢饉の激しさ、その被害の範囲の広さはこう言われています。13節を読みましょう。この非常事態のときに、エジプトの総理大臣となっていたアブラハムの子孫、ヤコブの11番目の息子ヨセフがとったのはどんな政策でしょうか?14節を見ましょう。それは7年間の豊作の時に貯えていた食糧を、銀と引き換えに売るということでした。しかも、ヨセフは私腹を肥やさず、銀をエジプト王ファラオの家に納め、言わば国の財産としたのです。

 貯えられた食糧よりも先になくなったのは銀でした。銀が尽きたとき、人々はどうしたか?15節を読みましょう。必死に訴えるエジプトの人々に対し、ヨセフ首相はどう答弁したでしょうか?16節を読みましょう。これは興味深く、とても賢い政策ではないでしょうか。飢饉の今は飼う余裕のない家畜を、政府が食糧と引き換えに買い取るという政策です。家畜は食料として食べてしまえば終わりで、飢饉のあと農業を再開する際に労働力となる家畜がいないのは大変困るのではないでしょうか。飢饉後を見据えた政策だとも言えそうです。人々が引いて来た家畜と引き換えに、ヨセフは食糧を分け与えたのでした(17節)。

2.家畜も尽きたとき(創世記 47章18~22節)

 その次の年、これは以前エジプト王ファラオに夢で示された飢饉が終わる7年の終わりの年と思われますが、人々は総理大臣ヨセフのもとに陳情にやって来ます。今度はどんなことか?18~19節を読みましょう。貯えられた食糧よりも先に、家畜も尽きてしまったのです。自分のからだと土地のほかには何も残っていないと言わせるほどの大飢饉とは何と過酷なことでしょうか。しかも、今度はヨセフからの提案ではなく、人々が「食物と引き換えに、私たちと私たちの土地を買い取ってください」(19節)とお願いしたのでした。

 人々のこの申し出に対し、ヨセフはどうしたでしょうか?ここでも「ファラオのために」(20節)という表現が印象的です。ヨセフは自分の権力を利用して、人々の土地を自分のものにできたかもしれませんが、エジプトの王様にあくまでも忠実に仕えたのでした。こうして、エジプトの土地は食糧と引き換えに、国のものとなりました(20節)。また、民は町々に移動させました(21節)。これは食糧の分配のためでしょうか、あるいは国の労働力としていつでも働きやすいようにということかもしれません。22節に「祭司たち」とあるのはエジプトの祭司たちのことです。王ファラオからの給与があったという記述は、当時の現実を反映しており、当時のエジプト社会を背景にこれらのことが書かれていることの証拠でもあります。また、ヨセフが当時のエジプトの制度を尊重したとも言えるでしょう。

3.将来のための種(創世記 47章23~26節)

 人々とその土地を王のものとして買い取ったヨセフのことばがここにあります。23~24節を読みましょう。ヨセフは種を渡し、土地にまくように命じています。飢饉の7年が終わろうとしている時なのでしょう。ヨセフの目は将来を見ています。「収穫の時になったら」(24節)というのも希望のある将来を示しています。収穫の5分の1はファラオに納めるのは、土地が国有地となったからです。5分の4は自分のものとするという制度です。「畑の種にするため」とはさらなる将来のためです。自分と家族の食糧というだけでなく、「扶養すべき者たちの食糧のため」(24節)とあります。子どもや弱い立場にある人々への配慮、福祉的な関わりが必要な人々をもヨセフは見ていたと言えるのではないでしょうか。

 しかし、土地を国のものとし、人々を王様の奴隷とし、収穫の一部を納めさせるというヨセフは、取り立ての厳しい「お殿様」や「お代官様」のようにも見えますが、どうなのでしょうか?この時、土地を国のものとし、自分を奴隷にすることを願い出たのは、エジプト人の方でした(19節)。人々はそれだけヨセフを信頼していたのということでもあるのでしょう。また、収穫の5分の1(20%)を納めるという税は、当時としてはゆるく、過酷ではないようです。さらに、人々は感謝と自発性をもって、自分をファラオに差し出しています。25節を読みましょう。ヨセフの生涯は、イエス様を指し示していると言われます。まるで、イエス様が十字架で私たちのために死んでくださった代価によって、私たちが神様のしもべとして買い取られ、感謝をもって、自発的に自分を神様にささげ、ゆだねるのと似ています。Iコリント6:20を読みましょう。

Ⅲ.むすび

 神様は飢饉という非常事態にあったエジプトをヨセフによって祝福してくださいました。彼のような知恵と慎みを備えた政治家や指導者がキリスト者の中から育ち、立てられるように祈る必要はないでしょうか。この後の時代、神様はエジプトを「わたしの民」と呼び祝福を約束されました(イザヤ19:23~25)。創世記12:2で神様が約束された祝福は、イスラエルだけでなくエジプト、アッシリアと広がり、イエス様がすべての人のために十字架で死なれ、3日目に復活されたことにより、イエス様を信じて、神様の子ども、「神のものとされた民」(Iペテロ2:9)、「神の奴隷」(ローマ6:22)とされた私たちが「祝福の源」とされて、日頃接する身近な人々に、救いの祝福は広がっていくのです。

(記:牧師 小暮智久)