2021年11月14日 礼拝説教「終わりからの始まり」

聖書: 創世記 50章1~14節

Ⅰ.はじめに

 「喪中につき新年のごあいさつは失礼させていただきます」というような文面の欠礼状が届く季節になりました。お祝いの席とお葬式、どちらの方が行きやすいでしょうか?『聖書』にこんなことばがあります。「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ」(伝道者の書 7:2)。自分の地上での人生の終わりの日を思うことは、今日の過ごし方を、神様の前でかえりみるための良い機会となるのではないでしょうか。

 私たちの教会は礼拝で「創世記」を共にお聴きし、今日は前回の続きの所です。「創世記」の全50章の連続説教は17年をかけて、いよいよ今日と次回でひとまず終わる予定です。「創世記」は、実に壮大なスケールの書物ではないでしょうか。天地万物、全宇宙の創造、人の創造から始まり、罪の始まり、ノアの箱舟、バベルの塔の出来事を記したあと、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフという4世代の家族に私たちを注目させます。地域的には、今の中東のイラクあたりのカルデアのウルという所から、カナンの地を経てエジプトまでの広がりがあります。エデンのいのちの木からヨセフの棺までとも言えるでしょうか。「創世記」の終わりは、単なる終わりではなく、「出エジプト」という救いへの始まりです。また、約束の地カナンでの士師(しし)の時代や王国の時代を経て、かなたの救い主イエス様の到来と十字架と復活による救いの完成への始まりです。さらには、聖霊の到来と教会の時代、キリストの再臨と新しい天と地、新しいエルサレムといのちの木の到来への始まりとも言えるでしょう。ヤコブの死と葬りの場面から、共に主の語りかけを聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.死と葬りの準備(創世記 50章1~3節)

 アブラハムの孫であるヤコブは、地上での人生を全うして、約束の地カナンではなくエジプトで死にました。『聖書』はそのことを「息絶えて、自分の民に加えられた」(49:33)と表現しています。そのとき、ヤコブの11番目の息子ヨセフはどうしたか?1節を読みましょう。ここには、エジプトに売られ長い間父に会えず、父の心を痛め、親孝行できなかったことなど、地上での別れの悲しみや心の痛みが表現されているのではないでしょうか。

 ヨセフは次に、「医者たちに、父をミイラにするように命じ」(2節)ます。当時エジプトにいたはずのミイラを作る人々に任せず、医者に任せたのは、エジプトの死者礼拝や魔術的なことを避けるためだったようです。ヨセフがこうしたのは、父の遺体を腐敗しないように保存して、約束の地カナンに葬ってほしいとの父の遺言を行なうためでした。その日数は40日間、喪の期間は70日間でした。これはアブラハムの死と葬り(25:8~9)やイサクの死と葬りの時(35:29)と比べると際立って長い期間です。また、これほど詳しく述べられていることは、ヤコブの死と葬りがもつ意味の深さを表わしているのではないでしょうか。

2.神が約束された地への旅(創世記 50章4~9節)

 父ヤコブが神様のもとに召されて70日間、2ヶ月と10日が過ぎた時、当時エジプトの王ファラオに次ぐ地位にあった息子ヨセフはどうしたでしょうか?4~5節を読みましょう。王に、父の遺言を実行するためにカナンの地へ里帰りをさせてほしいと、伝言でお願いしたのです。ヨセフは立場上、直接お願いできたはずですが、伝言にしたのはエジプト人の側に死者に関わるタブーがあったからのようで、ヨセフが配慮したとも言えそうです。

 ヨセフのお願いをエジプトの王は受け入れ(6節)、ヨセフとその一族のカナンへの帰省の旅が始まります(7~9節)。それはかなり大きな規模の団体旅行です。エジプトの王の家臣たちや国の指導者たち(7節)、ヨセフの家族とヨセフの兄弟たちとその一族(8節)、そして、護衛のためか、または荷物の運搬のためか、戦車と騎兵たちなどもともに、非常に大きな一団がカナンに向かったのです(9節)。エジプト人をも伴ったこれほどの規模の大きさは、何を意味するのでしょうか?一つにはヨセフのエジプトでの地位の高さでしょう。二つ目にはエジプト人が葬儀を重視する人々だったからかもしれません。

 エジプトからカナンへの旅は、ただヤコブを葬るための帰省旅行というだけではありません。カナンの地のマクペラの墓は、ヤコブ(イスラエル)一族にとって、神様が与えると約束された土地の中のただ一か所の所有地でした。そこを目指す旅は、その地のすべてを与えると約束された神様に対する信仰の表明でした。また、自分たちの子孫がやがてエジプトから出てその地に向かう「出エジプト」と「カナン入国」の旅のリハーサルとも言えるでしょう。さらには、このときエジプトの人々もともに、神様が約束された地に行ったことは、神様の祝福がイスラエルの民を通してすべての民族に広がっていくという約束(創世記12:3)がやがて実現することのきざしとも言えるのではないでしょうか。

3.葬儀と葬り(創世記 50章10~14節)

 ヤコブの葬儀の式場はどこでしょうか?「ヨルダンの川向こう」(10節)とあります。これは、どちら側から見るかによって、ヨルダン川の東側と西側の両方の可能性があります。11節に「その地の住民のカナン人」と書かれていますので、カナン人が住んでいたヨルダン川の西側、カナンの地がヤコブの荘厳な葬儀が7日間も行なわれた場所であるようです。

 ヤコブが葬られた場所はどこか?「父が命じたとおりに」(12節)とヤコブの遺言の通りに息子たちが行なったことが強調されています。その場所は、カナンの地のマクペラの畑地のほら穴です。そこが先祖アブラハム以来、彼らの所有地であったことは「私有の墓地にしようと、ヒッタイト人エフロンから畑地とともに買ったもの」(13節)ということばからも明らかです。しかも、その土地の売買契約の内容は23章に詳しく、約4000年前の西アジアの商取引の慣例に沿って行なわれ、正当な手段で彼らの所有地となった事実が印象づけられます。その墓地には、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブの妻レアがすでに葬られており、ヤコブも遺言通り、そこに葬られたのでした(13節)。それは、「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える」(創世記12:7)と約束された神様に対する彼らの信仰の表明であり、ヨセフたち12人の息子たちの「神様は真実なお方です」という証言でもあります。彼らとエジプト人の大きな一団はこの後、エジプトへ戻りました(14節)。

Ⅲ.むすび

 「エデンのいのちの木」から「エジプトでの神の民」までを記す「創世記」の「終わり」は、やがての「出エジプト」という救いにつながる「始まり」でもあります。また、「出エジプト」が指し示すイエス様の死と復活による救いが、今の私たちにも与えられる「始まり」でもあります。今日、「聖餐」を共に受けてイエス様の死の意味を深く味わい、新しい天と地での生活を待ち望みつつ、今の過ごし方を吟味しましょう。

(記:牧師 小暮智久)