2026年3月22日 礼拝説教 「神の指によるわざ」

聖書: ルカの福音書 11章14~28節

Ⅰ.はじめに

 桜が咲こうとしている季節、来週は受難週です。十字架のイエス様を仰ぎましょう。
 この教会の礼拝では2017年5月より「ルカの福音書」から続けてお聴きしており、今日は先週の続きの箇所です。イエス様のみわざとそのみことばに耳を傾けましょう。

Ⅱ.みことば

1.悪霊を追い出すイエス様(ルカの福音書 11章14~23節)

 このときイエス様は、ある人から「口をきけなくする悪霊」を追い出されました(24節)。悪霊にとりつかれ、束縛されていたその人は、悪霊から解放されてどんなにうれしかったことでしょう。「口がきけなかった人がものを言い始めた」(14節)とあります。それを見ていた人々は、どんなに驚いたことでしょうか。

 しかし、驚いた人々の中である人たちは、イエス様がまるで悪霊の仲間であるかのようにこう言ったのです。15節をお読みします。それは、イエス様は悪霊どものかしらによって、悪霊を追い出しているのだという主張でした。また、ほかの人たちは天からの奇跡を要求して、イエス様をためそうとしました(16節)。イエス様は敵対する人々にも囲まれていたのですね。

イエス様は反論します。17~19節をお読みします。イエス様は、悪霊どもが仲間割れしたら、悪霊どものボスであるサタン(悪魔)の国は自滅してしまうではないかと言って、彼らの主張を否定したのです(17~18節)。また、イエス様に敵対する人々の仲間も悪霊を追い出していたのですが、彼らは誰によって追い出しているのかと反論されました(19節)。

 そして、イエス様は興味深い表現で、悪霊追放の意味を宣言されました。20節をお読みします。イエス様が悪霊を追放しているのは「神の指によって」であり、悪霊追放は「神の国」が来たことのしるしだと言われたのです。「神の指」という表現で私たちは、「旧約聖書」の3つの箇所を思い起こすことができます。

 「神の指」は第1に、出エジプト記8:19に出てきます。そこはエジプトで奴隷だったイスラエルの民を主がモーセを通して解放しようと「しるし」としてブヨがたくさん発生するという災いを起こす場面で、エジプトの呪法師たちはブヨを「神の指」と呼ぶのです。ここでの「神の指」は解放をもたらすものと言えるでしょう。イスラエルがエジプトの奴隷から解放されたように、私たちはイエス様を信じることによって、罪と滅びから解放されました。解放されたからと言ってサタンは私たちを放っておいてくれるかというと、そうではありません。サタンは巧妙な手を使って、私たちをイエス様から、教会から、クリスチャンとの交わりから引き離そうとします。「光の御使い」にさえ変装する(Ⅱコリント11:14)と言われるサタンのさそいに乗ってはなりません。来週、受難週を迎える今、私たちすべての人のために十字架にかかられたイエス様を仰ぎましょう。イエス様を救い主と信じることにより、「神の指」によって解放され、「神の国」に入れられた私たちは、「神の国」のうちにとどまりましょう。

 「神の指」は第2に、出エジプト記31:18に出てきます。神のことばである十戒が書かれたのは「神の指」によってでした。神様は私たちをご自身のことばによって導き、神様のみこころを示し、それに従う助けと力を与えてくださいます。

 さらに「神の指」は第3に、詩篇8:3に出てきます。そこでは、天、月、星などを造られた神様の創造のわざが歌われています。神様は私たちをイエス様によって新しい者として創造してくださり、神様をほめたたえる者としてくださったのです。

 ここでイエス様はひとつのたとえ話をされます(21~22節)。21節の「強い者」とはサタン(悪魔)のことです。サタンは武装して人々を束縛し支配しています(21節)。そこへ「もっと強い者」であるイエス様が来られ、「神の国」(神が愛をもって包んでくださる国)をもたらし、サタンの支配を打ち破ってくださいました(22節)。23節は、イエス様と「神の国」については、イエス様を信じ受け入れて「神の国」に入れていただけるか、イエス様を受け入れないか、のどちらかしかなく、その中間はないことを語っています。イエス様を救い主と信じる人は、この「神の国」、サタンに対して勝利した国に入れられています。

2.イエス様が住まなければ(ルカの福音書 11章24~26節)

 ここでは、悪霊を追い出されたあとの人の様子が描かれています。それは、私たちがイエス様を救い主と信じたあとの状態に重なります。悪霊がさまよい、その人の所に戻って来た時に、家が「掃除されてきちんと片付いて」(25節)いるのと同じように、私たちの心と生活が空き家のような状態で、何にも満たされていないならば、そこへ悪霊が仲間を連れて戻って来て前よりも悪い状態になってしまう(26節)とイエス様は警告されました。

 私たちはイエス様を信じたあと、イエス様を自らの主として認め、住んでいただくのです。『聖書』は、聖霊である神様が私たちのうちに住んでくださるとも言っています(Iコリント3:16)。私たちは聖霊に自分をゆだね、聖霊に満たされる必要があります(エペソ5:18)。

3.賞賛より服従(ルカの福音書 11章27~28節)

 27節のある女性が声をあげてイエス様に言ったことは、イエス様を宿したマリアは幸いだということであり、イエス様のお話はすばらしいという賞賛のことばでもあります。それを聞いてイエス様はこう言われます。28節をお読みします。「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです」。イエス様は、「イエス様のお話はすばらしい」とただ賞賛するよりは、むしろ神のことばを聞いて従うことが大切だと言われたのです。

 私たちは、説教や証しを聞いたあとで「今日は良いお話を聞いた」ということだけで終わらずに、今日聞いた『聖書』のことば、神様のみことばに従いましょう。

Ⅲ.むすび

 イエス様は「神の指」によって、「神の国」、神様が愛と恵みによって包んでくださる国が私たちのところに来ていることを示してくださいました。「もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(20節)というイエス様のことばを、「それはよかったなあ」と思うだけで終わらず、この「神の国」のうちにとどまり、愛と恵みによって包んでくださっている神様のお導きに従いましょう。

(記:牧師 小暮智久)