2026年1月1日 元旦礼拝説教 「神さまとの絆」
聖書: マタイによる福音書 11章 28~30節
Ⅰ.はじめに
私たちは今、どんな思いで、ここにいるでしょうか?ある方は、お正月に実家に戻ってきたというなつかしい気持ちで、ある方は、新しい年に期待を込めて「今年こそは」という思いで、ある方は、お正月という賑やかさのゆえに、かえって孤独や寂しさを感じておられるかもしれません。いずれにせよ、新しい年の初めに、私たちは自分の原点やふるさと、親しい人との絆というものに心を向け、自分のあり方を振り返ることができるのではないでしょうか。ヘンリ・ナウエンというカトリックの司祭はこう語ったことがあります。「私はまるで、イエス以外のところに命の源を探求すべきであるかのように生きています。しかしイエスは、絶えずこう語っています。『わたしのところに帰りなさい。あなたの重荷、すべての心配事、恐れ、不安をわたしに預けなさい。わたしといれば休息を見いだせることに信頼しなさい』」(『ナウエンと読む福音書』,p.117)。私たちの実家、ふるさと、最も強い絆でご自分と私たちを結んでくださるイエス様の語りかけを聴きましょう。
Ⅱ.みことば
1.わたしのもとに(マタイによる福音書 11章28節)
「わたしのもとに来なさい」とイエス様は私たちに語りかけておられます。どんな状態の私たちを招いているのでしょうか?元気で自信に満ちた私たちを、でしょうか?いいえ。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい」(11:28)。学校の勉強やクラブ活動で悩んだり、会社での責任や仕事の重荷、将来の不安、毎日が自分の思うようにならない疲れや苦労を感じるそのままで「わたしのもとに来なさい」とイエス様は招いておられます。家事や子育て、人とのつきあいも時に重荷や心配の種になるでしょう。信仰生活や奉仕に疲れや重荷を感じることもあります。洗礼を受けたのに、思ったようにはイエス様に従えない弱さに苦労することもあります。その人は「わたしのもとに来なさい」とイエス様は言われるのです。先ほど「いつくしみ深き 友なるイエスは」と一緒に歌いました。この讃美歌の歌詞は、結婚式の前日に婚約者が事故で死ぬという悲しみを経験した男性が、その16年後に再び婚約者を病気で失うという絶望の中で書いたもの、曲は日本でなじみのある「星の世界」です。イエス様は私たちの「心の嘆きを包まず述べ」ることができる友です。「あなたがたを休ませてあげます」。これがイエス様の約束です。
2.わたしのくびきを(マタイによる福音書 11章29~30節)
「わたしのもとにきなさい」と言われるだけでなく、「わたしのくびきを負って」とイエス様は私たちに言われます。「くびき」とは、畑を耕す「くわ」を牛に引かせるときに、1頭だけに重荷を負わせずに2頭の牛を並べて一緒に引かせるために、2頭の牛を肩のところでつなぐための横木です。「わたしのくびき」と言われるイエス様のくびきを、私たちが一緒に背負い、私たちの重荷や苦労を、イエス様が一緒に背負って引っ張ってくださるのです。「くびきを負う」とは、イエス様と私たちとがつなげられるということ、そして、一緒に肩を並べて歩くということです。イエス様は、私たちの罪のために、十字架で死んでくださいました。神様はこのイエス様を3日目に復活させてくださいました。そして、このイエス様を信じる人に、神様との絆の中で生活する「永遠の命」を与えてくださいます。神様との絆の中での生活は、最初は『聖書』を読んでもよくわからず、お祈りもどのようにしたらよいかと戸惑いますが、「わたしは心が柔和でへりくだっているから」と言われるイエス様は、私たちと同じ目の高さになってくださり、私たちの歩く早さに合わせてゆっくり歩いてくださいます。このイエス様とつなげられた絆の中で、次第に私たちはイエス様の歩調に自分を合わせることになじんでいくことができます。それが身体や心の休みだけでなく、私たちの存在の奥深いところの、魂の休みであり、イエス様のくびきは負いやすく、イエス様の荷は軽いと感じる生活です。
3.イエス様から学ぶ(マタイによる福音書 11章29~30節)
「わたしのもとにきなさい」と私たちを招くイエス様は、「わたしのくびきを負いなさい」と言われ、最後に「わたしから学びなさい」と私たちに言われます。つまり、私たちがイエス様のもとに行くのは、重荷や苦労がある時だけではなく、イエス様とつなげられて肩を並べて一緒に歩き続け、イエス様に学び続ける継続的なことがらなのです。
私が初めて大阪に住んだのは38年前、25歳の時でした。それは、大学での4年間を終え、神学校での3年の学びと訓練を受けて卒業した直後でした。あと1年、阿倍野の大阪キリスト教短期大学の当時の神学科での学びを受け、最初に伝道師として東住吉教会に任命されたときは26歳でした。東住吉教会で2年、大阪日本橋教会で3年、再び東住吉教会に任命されてもうすぐ満32年になります。欠けが多く足りないながらも牧師として奉仕を続けてきて37年、今でも初めて経験することがあり、そのつど、新しく学ばせていただいています。誰から学ぶのでしょうか?「わたしから学びなさい」と言われるイエス様から学ぶのです。私たちは、イエス様から日々教えられて生活するのです。「学ぶ」とは、ただ知るというのではなく、身につくこと、言葉や考え方や行動が変わることです。私たちがイエス様から学ぶならば、私たちの言葉や考え方や人との接し方がイエス様に似ていくでしょう。それは「たましいに安らぎを得ます」という学び、私たちはイエス様から教えられやすい柔らかな心を今年、もちつづけたいものです。
Ⅲ.むすび
「わたしのもとにきなさい」「わたしのくびきを負いなさい」「わたしから学びなさい」と、いつも私たちに呼びかけてくださるイエス様の声を、今年意識していたいと思います。このイエス様の声は、神様と自分との絆をつくり、私たちを神様という家に帰らせ、神様の子どもとして私たちを新しく生まれさせてくださいます。また、イエス様を信じて神様の家族とされている人には、神様と自分との絆を思い起こさせてくださいます。親子の絆、夫婦の絆、兄弟や姉妹との絆、そして、教会との絆、神様との絆。ふだんはあまり意識することがなくても、確かにあるもの、それが絆ではないでしょうか。
(記:牧師 小暮智久)

