2025年2月9日 礼拝説教 「主は生きておられる」

聖書: ルツ記 3章10~13節

Ⅰ.はじめに

 つらいことや悲しいことが続けて起きることがあります。私の場合、3年前の3月に父が召され、5月に母が召されました。その年の夏には弟が脳内出血で倒れ、翌年6月には妻が入院、昨年秋には自分が入院と、思いがけず悲しいことやつらいことが続きました。そのようなとき、どうしたらよいのでしょうか。

 今日は、子どもと大人の合同礼拝です。合同礼拝では、教会学校の『聖書』の箇所から神様のことばをお聴きしています。教会学校はいま、「士師の時代から王国へ」という単元で、目標は「神を自分の主、王として従う」です。さまざまなつらいこと、苦しいことが起きる時、神様はどこにおられるのか、神様はどのように私たちを導かれるのか、さきほど読まれた『聖書』のみことばに、ともにお聴きしましょう。

Ⅱ.みことば

1.悲劇のどん底で(ルツ記 1章)

 私たちの教会の礼拝で時々お聴きしている「サムエル記」のすぐ前、「士師」と呼ばれたリーダーたちが活躍した時代の出来事です。今朝はルツという人に注目します。ルツはモアブという国に住む女性で、ユダヤ人から見れば異邦人です。近隣のユダヤの国が飢饉で食べ物がなくなり、ユダヤのベツレヘムから逃れてモアブにやって来たユダヤ人のナオミという人とその家族に出会い、ナオミの息子の一人と結婚します。すでに、ナオミの夫(義父)は死に、やがて、自分の夫(ナオミの息子)も死んでしまいます。どうしてこうも悲劇が続くのでしょうか。神様はどこにおられるのでしょうか。それでも、神様はそこに、すぐそばにおられました。神様はこの家族を導いておられたのです。

 ユダヤの地の飢饉が終わり、ナオミは故郷へ帰ろうとします。ナオミはルツに、モアブにとどまるようにと言いますが、ルツは彼女から離れません。ナオミについて行って、ベツレヘムに移り住むことを決心します。なぜか?16節をお読みします。ルツはナオミが信じている神様を、自分の神様として信じたのです。ナオミの生活を見ていて神様を見たと言うことができるかもしれませんね。私たちの生活を見て、身近な人が神様を見られるようになるといいですね。

2.主に信頼する(ルツ記 2~3章)

 ルツはユダヤのベツレヘムに到着します。彼女は生活のために、落穂拾いに出かけます。その様子を描いた、ミレーという人の有名な絵がありますね。そこは、ユダヤ人のボアズという人の麦畑でした。ボアズはルツにとても親切にします。しかも、ボアズはナオミの召された夫の土地を買い戻す権利をもつ親戚の一人でした。「買い戻す」とはもとのことばでは「あがなう」と同じ意味があり、ここでは夫を失ったルツと結婚し保護する役目を果たすことを指します。ルツはナオミの勧めに従い、ボアズに結婚を申し込みます。そのときのボアズの答えのことばが、先ほど読んでいただいた10~13節です。ボアズはこのとき、ルツとナオミを保護し、ルツと結婚する決意をしますが、買い戻しの権利をもつ他の親戚の人に確認をとることを伝えたのでした。ボアズは「主は生きておられます」と言います。神様はそばに、ここにおられ、神様はすべてを見ておられ、すべてを導いておられる。ボアズは、この主に信頼してルツとの結婚のことも神様にゆだねたのでした。

 主は今も生きておられます。つらく苦しいことが重なる時も、主はそばにおられ、すべてをわかっていてくださいます。主は生きて働き、すべてを最善に導いてくださるのです。

3.ルツのあがないとイエス様(ルツ記 4章)

 それからユダヤ人のボアズは、当時の正しい手順を踏んで、買い戻し(あがない)の代価を支払って、異邦人であるルツと結婚しました。こうして、ルツとナオミには大きな喜びと平安がもたらされました。

 ルツとボアズの間にはオベデが生まれ、その子はエッサイ、その子としてダビデが生まれました。さらにダビデの子孫としてイエス様がお生まれになります。イエス様は私たちを罪と死と滅びの支配からあがなう(買い戻す)ために十字架にかけられ、死んでくださいました。イエス様はご自分のいのちという尊い代価を支払うことによって、私たちを罪と滅びから買い戻す(あがなう)手順をすべて完了してくださったのです。

Ⅲ.むすび

 私たちの生活が順調なときも逆境のときも、いまも主は生きておられます。イエス様を救い主として信じ、神様の子ども、神様のものとされ、神様に導かれて、神様とともに一日一日を過ごしていきましょう。

(記:牧師 小暮智久)