2024年8月11日 礼拝説教 「苦しみのときに」

聖書: 出エジプト記 2章1~10節

Ⅰ.はじめに

 79年前に敗戦を迎えた戦争の時の話を、母からよく聞きました。お昼のサイレン(この辺では聞きませんが)を聞くと「空襲警報」を思い出す、食べ物がない、疎開していて家にも帰れない、戦争の時は本当に苦しかった、忘れてはならない、二度と繰り返してはいけないなどの話です。ある人に教えていただいた川柳に「8月は6日、9日、15日」というのがありますが、当時の苦しみを想像し、心に刻みたいと思います。今の時代にもさまざまな苦しみがあるでしょう。苦しみのときに、私たちはどうしたらよいのでしょうか?

 今日は、子どもと大人の合同礼拝です。合同礼拝では、教会学校の『聖書』の箇所から神様のことばをお聴きしています。教会学校は今日から、「モーセ」という単元で、目標は「神の民としてどう歩むべきかを知る」です。以前、礼拝で「創世記」の全体を少しずつ、共に最後までお聴きしたことがあります。その中で、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの人生も聴きました。不思議なことにヨセフはエジプトで大臣になり、ききんの中でヤコブ一家はエジプトに移り住むことになりました。その子孫、イスラエルの人々はエジプトでどんどんふえていきました。その後どうなったのか、みことばに共に聴きましょう。

Ⅱ.みことば

1.イスラエルの人々の苦しみ(出エジプト記 1章1~14節)

 時は過ぎました。8節をお読みします。ヨセフのことを知らない新しい王様は、外国人であるイスラエルの人々を恐れました。なぜか?彼らがエジプト人よりも多く、強くなったからです。それで王様は、イスラエル人を奴隷として働かせました。とても多くてつらい仕事をさせ、疲れ果てさせ、弱らせようとしたのです。イスラエルの人々は、どんなに苦しかったことでしょうか。

 今の私たちはどうでしょうか?私たちは今、誰かの奴隷ではありませんが、それでもいろいろな苦しみや悩みがあるのではないでしょうか。たとえば、からだの痛みや苦しみ、家族の悩み、学校や仕事での苦しみや悩み、お金や将来の心配などです。あなたの今の苦しみや悩みは何ですか?苦しみのときにどうしたらよいのでしょうか?

2.神様を恐れる助産婦たち(出エジプト記 1章15~22節)

 エジプトの王様は、イスラエルの人々を減らそうとしました。それで助産婦たちに命じたのです。16節をお読みします。助産婦は今では助産師と言いますが、その仕事は今から約3500年前のエジプトの時代にもあったのですね。こう命じられた助産婦たちはどうしたか?17節をお読みします。「神を恐れ」とはどういうことか?王様よりも神様を優先したということです。神様がいのちを与えた男の子を生かしておいたのでした。当然王様は彼女たちを問いつめます。18~19節をお読みします。

 エジプトの王様ファラオはさらに厳しい命令を出します。22節をお読みします。このようないのちの危険がある時代に、イスラエルを苦しみから救い出すために、ひとりの男の子が生まれたのです。

3.危機の中でモーセ誕生(出エジプト記 2章1~10節)

 そのような苦しみのとき、危機の時代に、イスラエル人のレビの部族のある人の家に、男の子が生まれました。3か月は隠していましたが、それ以上隠しきれなくなり、どうしたか?3節をお読みします。その子をかごに入れ、ナイル川の岸の茂みの中に置いたのでした。そこへエジプトの王様の娘が水浴びをしに来て、そのかごを見つけます(5節)。彼女はどうしたか?6節をお読みします。彼女はその男の子を「かわいそうに思い」、ヘブル人(イスラエル人の別名)の子どもだと知って守りたいと思ったのです。

 その子の姉はその王女に「乳母(うば)を呼んで来ましょうか」と言い、自分の母親を呼んで来ます(7~8節)。結果として、その子は乳離れするまで、王女から乳母としての賃金をもらうことになった実の母のもとで、育つことになったのです。不思議なことですね。その子が大きくなったとき、母親はその子を王女のもとに連れて行き、その子は王女の息子となり、王女はその子を「モーセ」と名づけました(10節)。モーセとは「引き出す」という意味です。王女が水の中から引き出したから、そう名づけられたのですが、やがて、このモーセが、イスラエルの人々をエジプトの奴隷の苦しみから引き出す人になるのです。

Ⅲ.むすび

 神様は、イスラエルの人々をエジプトでの苦しみから救い出すために、モーセという人を与えてくださいました。この赤ちゃんが、やがて救う人となるのです。 この約1500年後、今から約2000年前、神様は私たちを、罪と滅びの中から救い出すために、イエス様というお方をお送りくださいました。イエスとは「主は救う」という意味です。赤ちゃんとして生まれたイエス様はやがて、私たちひとりひとりの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、葬られ、3日目に復活されました。このイエス様を、神様からの救い主と信じ受け入れる人は、罪と滅びから救い出され、神様の子どもとされるのです。神様の子どもとされたあとにも、苦しみに出会うことはあります。そんなとき、どうしたらよいのでしょうか?詩篇50:15を読みましょう。苦しみの日には、神様を呼び求めましょう。神様は不思議な方法で助け出してくださいます。

(記:牧師 小暮智久)